播磨国名神大社 家島神社〜海人の島へ渡る

つい先日、急に思い立ち

姫路港から家島諸島へと高速船にて、

播磨国風土記講座でその重要性を知った⛩家島神社を目指しました。

 

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高速船から見える家島神社です。

この風景に一目惚れ。

 

そしてこの家島神社から冬至の日に太陽が昇る方向にはちょうど、

淡路島一ノ宮、イザナギ神宮があるというのです。

家島神社は延喜式名神大社であり、

播磨国名神大社播磨国一ノ宮伊和神社とこの家島神社の二つのみだそうです。

播磨国風土記講座講師、光田和伸先生調査考察より)

 

 

 

そういえば

ここにそっくりの神社が阿波にありました…

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こちらもご紹介しておきます。

徳島県鳴門市島田島にある阿波井神社。大宜津比売神天太玉命をお祀りしています。

 

 

 

 

高速船は約30分で家島の真浦港に着き、

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そこでレンタサイクルを1日600円で借り、早速神社のある天神鼻へ向かいました。

 

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湾の内側に沿った島の主要道路に車はほとんど走っていません。

のんびりと穏やかなしかし漁船が沢山⛴⛴

古代から受け継ぐ海を生業とする海人の生粋の漁村だと、少し感慨が深く。。

あちこちに綺麗な生花を祀った祠やお地蔵様が目につきます。

 

途中の宮浦港の⛩宮浦神社へ。

とても立派な社です。

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ここは、滋賀県高島、琵琶湖畔にある白髭神社から勧請された白髭名神

白髭霊祠があります。

(ここに、猿田彦神がいたとは…👀)

 

家島では3つの神社へ参詣させていただきましたが、

どの神社も立派な社殿や造り。

熱い信仰の様子が肌で感じられました。

播磨の祭りの壮大さと同じ…

 

神仏への祈りの厚さ、板の上一枚の危険と背中合わせの漁、安全と豊漁を願う

海幸の人々の神や仏への想いは、

 

山幸育ちの私には圧倒的なパワーで迫ってきます。

 

 

 

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そして、岬の先端の家島神社に到着しました。

海に向かう神社、目の前が波打ち際です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宝珠に導かれ…六甲比命神社②、雲が岩周辺

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そう、この階段を上がった先にあったのは…

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雲が岩

法道仙人がこの地で修行中、紫の雲に乗った毘沙門天がこの岩の上に現れたと言われ、紫雲賀岩と呼ばれていたが、略して雲が岩となったようだ。

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雲が岩周辺は、多聞寺の奥の院である。六甲カンツリーハウスの南の山頂部に位置する仰臥岩に祀られている神は、

雲が岩八大竜王熊野権現、仏眼上人、花山法皇である。

(弁天さまの家来に当たる八大竜王は、俗に「ミーさん」と呼ばれていて、生卵を好む神である。)

 

海抜913m、六甲最高峰(931m)につぐ高所で、巨石、奇岩累々と重なり合っていて、中国地方の連峰、摩耶、淡路島、瀬戸内海、北神地方の町々を一望でき、裏六甲景観を賞する絶好のパノラマゾーンである。

昔はこの付近も、多聞寺の行場であった。

 

 

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六甲比命大善神社

雲が岩と心経岩の中間に六甲比命大善神社の社がある。本尊は弁財天である。六甲姫、六甲比女とも言われている。(俗称ヒメさんと呼んで、親しまれている)背面の大巨石がご神体か?

 

追記、

六甲山はかつて向か津峰、武庫山とよばれ、全山が西宮の廣田神社の社領であった。甲山神呪寺、鷲林寺、ほか多くの六甲山周辺社寺で弁財天が祀られているが、「神呪寺史」によれば、弁財天女は廣田明神、憧賢木巌之御魂天疎向津姫(ツキサカキイツノミタマアマサカルムカツヒメ)のようである。

 

ーー、また廣田神社祭神とかかわる鷲林寺のそ乱荒神は、清山宝荒神と同じだとする説がある。

それはともかく、六甲比命大善神社から夏至の日の出方向に六甲山頂、

石の宝殿、清荒神、そして、京都祇園祭鈴鹿山(瀬織津姫)が、並ぶのは実に興味深いことである。

 

以上、六甲比賣講世話人会さま【雲が岩周辺の由来】より抜粋させていただきました。

 

 

ここで花山法皇に出会った驚き!

 

 

 

宝珠に導かれ…六甲比命神社

去年の今頃は…白髭神社へ行っていた。

あの時の友人からの声かけで、またタイミング良く11月1日、111の日に向かった場所は…

 

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六甲山。

まだ少し紅葉には早く、

昨夜の雨の後の山は、キリリ✨とした冷気に包まれていた。

 

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六甲カンツリーハウスで道を尋ねる。

Bの道は鎖を登るんちゃう?

修験だからねぇ。

うーん、いやいや、Aの道にしようよ…鎖なんて〜💦落っこちたら困るし〜

😅

とか言いながら、喋る確認事項は盛りだくさんで回り道もウキウキと♪

まったく人の気配のない雨上がりの山の朝は清々しさ満点です。

 

伏見稲荷白髭神社、そしてまた今回もかぁって思ったよ…いつも人払いの雨になるね。

 

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道を曲がると光のシャワーがサーッと差した🌤

 

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あ、なんか岩がある…

あの線が入ってるように見えるねぇ…

意味はわからんけど…

 

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こっちだこっちだ…

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ここから入るんだよ…

 

うわー、これ、夏だと蛇出そうよね…

イノシシいるかな、

熊🐻

熊は六甲山にはおらへんで…😅😂

 

あっ…

えっ…

 

な、何これ、

坂を登りきった途端目に入ったものに息をのむ…

 

こ、これすご…足がすくむ

行っても大丈夫?ってくらいの空気感がガラリと変わった。

 

写真を撮ろうとスマホを出すと…

撮れない、あれ??またや…

撮らんほうがいいって事ちゃう?

 

六甲比命神社ってこの道の先かな?

あれ、こっちに上に上がる道があるよ。

行く?

うん、道があるなら行かなきゃ。

行こう…

 

えー‼︎えーっ(@_@)⁉︎

あ、あ、

ちょっと!!あれ!

何これ……

 

ここや、ここやわ、これやわ。

たしかそう、ここだ。。。

瀬織津姫さまの…

 

どなたかのブログで見た事あった…

瀬織津姫をここで感得されたという方だったか…

 

 

圧倒される岩の壁が突然立ちはだかったように見えた。

全体像を把握するのに、それが磐座だとわかるのに、

数秒を要して…目をみはる。

 

あー、ここだよ。

こっちの道で正解だったよ。。

 

この日のためのように手元に来た

チベットの隕石鉄を含むティンシャを鳴らす…

サーッと頭上の木々を強めの風が揺らし、光が磐座にチラチラと踊りながら写ってくる。

なんとも言えない光景が目の前にある。

 

夢のような、目の前のこの光景が現実とは思えない錯覚を感じる。

 

それほどまでの圧倒的な存在感のある

磐座。

 

初めての体験だと…思う。

 

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そして、行くか戻るか…

2人ともどれがどの道かわかってないので、まだここでも進むか戻るか相談しながら行く先を探していたのだ。

 

あの階段上がる?それともあの岩のある道に戻る?

やはり階段登ってみよう!

 

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そして…

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あの宝珠が迎えてくれた。

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火炎宝珠と封印された女神

久しぶりの更新となります。

書きますか…

 

夢の中をたゆたうような、

多次元が重なり合う隙間に垣間見える懐かしい風景のような

 

これも、千年の夢であろうか。

 

 

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西宮の廣田神社の秘宝のご神宝は

霊宝剣珠、火炎宝珠。

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六甲比咩=ムカツヒメ=瀬織津姫⁉︎

 

そしてこの火炎宝珠の紋を持つ神社が阿波にある。

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玉振神社

 

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ちょうどこの日は秋祭りでした。

それで紋の入った幕に染められた火炎宝珠の紋が見えたのです。

 

宝珠とは…命、魂、願いを叶える玉。

 

六甲山に空海が隠した玉があるという

 

それは、六甲山の磐座に閉じ込められた姫神の持つ玉なのか…?

 

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剣山山頂大剣神社の下の湧水が流れ落ちる

 

元伊勢外宮☆船岡山に眠る豊受姫

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元伊勢外宮☆豊受大神
(とゆけだいじんじゃ)
名  称 元伊勢外宮豊受大神
所 在 地 京都府福知山市大江町字天田内船岡山
主 祭 神 豊受大神
相  殿 日子番能邇々杵命(ひこほのににぎのみこと)
      天児屋根命天太玉命
奥  宮  -
摂  社  多賀神社・土之神社・月読宮・風之神社(四社を以て四所別宮と称す)
末  社  三十七社
祝  部  河田氏

 

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境内中央に拝殿があり、後方に茅葺神明造の本殿。拝殿の左右には、別宮の多賀之宮と土之宮が祀られている。

本社社殿を取り巻くように、境内の左右・後方に境内社が並んでいる。

境内左手から、御幸神社、天田神社、蜂須神社、若宮神社、榊森神社、和幣神社、御釼神社、大若神社、鏡作神社、知恵神社。

右手から、岩崎神社、保養神社、酒造神社、日吉神社、祓戸神社、椿本神社、姫若神社、榊原神社、南之神社、福徳神社、白鬚神社、小篠神社、甲之神社、礒之神社、平岡神社、保浪神社、青榊神社、横河神社。

社殿後方には、別宮の月宮と風宮に挟まれて、竈原神社、種木神社、瀧之神社、東羅神社、金刀比羅神社、蓬戸神社、神南神社、鹿嶋神社、繁昌神社。

 

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月宮

 

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崇神天皇の御代。天照大神倭国笠縫邑から当地へ還幸の際に創祀されたという。

旧号を与佐宮と称し、御山を比沼の真名井ヶ原と呼ぶ。

伊勢外宮の縁起を伝える延暦二十三年(804)の『止由気宮儀式帳』によると伊勢外宮は、丹波国比治真奈井に鎮座する豊受大神遷座したものとある。

鎌倉時代の『神道五部書』によると伊勢外宮の御饌都神(豊受大神)は、天御中主神・国常立神と同神で、雄略天皇二十一年、倭姫命天照大神の神託があり丹波国与佐宮に祀られている豊受大神を伊勢山田原に迎えたもの。

享保二十年(1735)の『丹後国加佐郡旧語集』には当社・豊受宮は「人王三十三代推古女帝二十一丁巳年外宮遷座伊勢国」とある。

よって当社が、伊勢外宮の元社であると考えられている。

 

上記、玄松子さまのブログより

http://www.genbu.net/data/tango/geku_title.htm

 

《丹後与謝海名勝略記》(貝原益軒)


【真井ケ原】

一宮の北松の茂りたる所実に比治の真井原藤岡の神社也。今に崩損したる宮柱あり。その傍に鶺鴒石あり、神秘なり。

是謂ゆる與佐の社也。しかるを諸社一覧に與佐の社は与謝郡川森に有とて書て河守今内宮を祝は近代の俗なりと云けり。甚誤なり。

蓋今の内宮は昔天照太神四年鎮座の跡なるへし。河守の外宮は山も浅く、内宮に比するに遥以後の勧請と見へたり。しかるをよさの社と指てよさの海の古歌ともひけり。

河守は海浜より四里余大山を隔て山中なり、是あやまりの証據なり。


或曰今の内宮外宮は往古金丸親王(按二帝王系図一用明天皇第六の皇子常麻君の祖也)当国凶賊征伐の時勧請し給ふ所なり。

内宮外宮の間に公庄金谷といふ在所あり。是すなはち親王の家臣也。

親王当国を領しなふゆへ家臣の姓残りて在名となれり。

親王の勧請故あるに似たる乎、豊鋤入姫天照太神を戴て、丹後與佐の宮に到りて四年を経といふ。神跡は今の文珠堂也。

俗伝へて堂内の四柱を天照太神の建立なりと云、是其証據なり。

况真井原と文珠堂と纔三十町を隔て一所なり。是豊受太神自レ天降同座二一所一といふものなり。

是又一説なり。

 

大江町誌》
豊受大神社は、天田内の舟岡山に鎮座、外宮ともよばれる。祭神は豊受大神、日子番能迩々杵命、天児屋根命、天太王命を相殿に合祀し、廻りに末社三七社が並び、内宮と大体同じ形に祀られている。昔はこの森全体に大木が茂っていたが、たびたびの台風で古木が倒れ、今はややまばらになったとはいうやはり大社の様相を留めている。

 

 天照大神は、吉佐宮において豊受大神から真名井の水による御饌の奉仕をうけられた。伊勢に鎮座ののち雄略天皇の21年、倭姫命天照大神の神教があり、丹波から豊受大神を御饌津神として伊勢の山田原に迎えたのが伊勢外宮のはじまりであるが、ここ豊受大神社はその元つ宮だと伝えられている。

近世の地誌書「丹後風土記」には、「此地を与謝の比沼ノ魚井原といへり真井とも。与謝宮と云。祭神豊受太神宮鎮座初の地にして、雄略帝21年神託有て翌年勢州山田原に遷座なし奉ると云。」と記し、「丹後旧語集」には、「豊受宮ハ国常立尊也 左瓊瓊杵命 右天児屋根命雄略天皇ノ御宇建立、養老五年九月初奉宮幣 人王三十三代推古女帝二十一丁巳年外宮遷座伊勢国」とある。

神社明細帳には、雄略天皇の二十二年、天皇が神悔を受け、丹波国丹波郡比沼の麻奈為に座す豊受大神伊勢国度会の外宮に移した時、しばらく舟岡山に鎮座したのに始まるとしている。

 

http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/motoisegekuooe.html

 

上記 斎藤さまサイトより

 

 

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加古川由良川

日本一低い分水嶺でつながる氷上回廊、日本海と瀬戸内海を結ぶ古代の重要な船の道であった。

http://www.infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1106mzwkre00.htm

 

この河川沿いにある元伊勢豊受大神社は、形状から古墳の可能性がある。

 

 

 

 

 

 

 

女布は丹生☆豊受姫は船で来た。

賣布神社
ひめふじんじゃ
京都府京丹後市久美浜町女布初岡724

 

女布と書いてニョウ。=丹生

これぞ、丹後の丹だ!

久美浜湾の少し東。

海面が少し上がればここまで湾と河口が広がっていたのかもしれない。

この女布権現山山麓には古墳が集まっている。

 

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黄色い☆印の場所が賣布神社。

 

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式内村社 売布神社
祭神 豊受姫命。大屋媛命。狐津媛命


由緒 当社の創立は丹後一覧記によると垂仁天 皇(十一代)代川上麻須の勧請に係るものと云う。
伝承に依れば久美浜町谷の足洗井戸があり祭神が 始めて留りし地であり野中、安養寺を経て船にて 女布に着き小字舟處に上陸されたという。この附近に 幟立ての小字があり道路そばに船石がある舟を埋めたという。
延宝三年(一六七六)女布明細帳によれば通称長船大明 神と言えりとあり南方一七〇米の地には布杜神社が あり売布神社を大宮、布杜神社を小宮とよんでいる。
明治五年四月氏子調査に依れば九ヶ村あつたがそ の後七村となり女布、丸山、郷、野中、安養寺、円 頓寺、谷の七村を云う。
元祭は旧九月二日牛の日である。
文化十年(一八一三)久美浜代官塩谷大四郎正義氏の 奉納刀がる。

-社頭由緒書-

 

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豊受姫が舟でこの地へと来られた。

ここにその舟が埋められたという。

 

 

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神武天皇社があった。

 

丸い白い石を灯篭の中においている。

阿波の神社にあるおかまごを思い浮かべる…

 

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豊受姫神となった羽衣天女

豊宇気毘売神はどこから舟に乗りこの地へと来られたのか?

ここへ来る道の途中、この近くに海部という地名があった。

海部が丹生を求めて

船に乗せて姫を運んだのではないだろうか?

ウツボ舟に乗る船玉神。船魂。船霊。

 

 

この地に坐す大いなる神、豊受の大神は男神だという。

 

神を祀る巫女、神の女が機を織る羽衣天女、豊宇気毘売神。海人族の女神だ。

農業や養蚕の技術も舟に乗せてやって来たのかもしれない。

 

丹波道主命の元で集められた巫女達が大いなるこの地の神を斎き祀る。

そういう祭祀形態がこの丹後の地にあった。

その祭祀方法と巫女達は丸ごと新しい大和へ、伊勢へと持って行かれた…

新しい国家形成のために、

この地を守るために

天照の食事係として下った。

 

丹後国の地の神は天孫&長の国から来た出雲族=イヅモの海部(阿波の)に従うことを選んだ。

 

ここにも海部ワナサオフソのルーツの一端が見え隠れする…

 

 

賣布神社の祭神をもう一度… 

 

豊受姫命、大屋媛命、狐津媛命

 

狐津媛命…😳❗️オオゲツヒメが隠れているわ🐱🐱

 

丹と舟と女神がここでも揃った…

 

 

追記 🐱つまつひめのみこと

抓津姫命
つまつひめのみこと

別名
都麻津比賣命:つまつひめのみこと
抓津彦命:つまつひこのみこと
……
建速須佐之男命櫛名田比売命の御子。 五十猛命大屋津姫命の末妹神。

抓津姫命と、兄神五十猛神、姉神大屋津姫命の三神は、父神に連れられて紀ノ国に渡られた。

また、建速須佐之男命が全身の毛を抜いて木々とし、 抓津姫命は五十猛神大屋津姫命と国中を回って植えた。

 

 

 

 

京丹後市☆乙女神社🌙羽衣天女の里

丹後への旅の2日目、

峰山町に宿泊した私たちは朝一番に比沼麻奈為神社への参拝を終え

そして

乙女神社へ。

磯砂山の山麓

ここは前日の大江の真名井池や丹後国風土記とはまた違う天女伝説の場所。

さんねもという若者と天女の切ない恋物語です。

乙女神社の天女伝説

 むかしむかし比治(ひじ)の山の頂き近くに大きな美しい池があり、その池に八人の天女が舞い降りて水浴びをしていました。
 それを見ていた三右衛門(さんねも)という里の狩人が、 一枚の羽衣を隠してしまいまったために、天女のひとりは天に帰れなくなっ てしまいました。天女は三右衛門と一緒に暮らすことになり、三人の美しい女児をもうけました。
 天女は農業、養蚕、機織り、酒造りが上手で、三右衛門の家はもとより比治の里はすっかり豊かになりましたが、天恋しさに耐えかねた天女は三右衛門の留守中に、「お父様は毎朝何処を拝んで出かけていくの?」と娘達に尋ねました。娘達は家の大黒柱を指さしました。大黒柱の穴に隠してあった羽衣を見つけた天女は、羽衣を身に着けると、駆け戻った三右衛門に「七日七日に会いましょう」と云い残して天に帰っていきました。

 

 

http://kammuri.com/s1/densyou/01-otome/01.htm

 

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ここにもありました。五角柱の地鎮塔。

 

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乙女神社の下にある記念館にて、

展示絵本原画

 

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丹後七姫とは、

乙姫

羽衣天女

ガラシャ夫人

間人皇后

静御前

小野小町

川上麻須良女

(安寿姫)

 http://kammuri.com/s2/7hime/densetsu.htm

 

道の駅で出逢った丹後七姫紙人形はお土産に。。

 

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あれから2ヶ月近くが経ち

この人形を見るたびにあの旅を想う…

 

数奇な話の始まりに

集まった初対面もありの私たち4人の不思議な不思議な縁の糸

どこから導かれどこへ行こうとしているのか…

 

 

楽しかったね♪

面白かったね♪♪

そして、思いっきり不思議な素晴らしい体験。

 

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おかえり…おかえり…

皆でまたここへ帰ってこれたね。

 

なつかしい声の聞こえた拝殿の背後の山でした。