十和田湖〜十和田神社

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2日目に泊まった十和田湖畔のホテルは清潔でとても静かな場所でした。

 

レストランのお料理がとても素敵でした✨

 

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湖の対岸は十和田神社高村光太郎の乙女の像がある場所になるようです。

あの三角の山が気になる…

 

 

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十和田湖に来るのはどこから来るにしても遠いし、カルデラ湖だから外輪山を越えなければならない…

だからか、奥入瀬渓谷には観光客はたくさんいたのですが

ここは、とっても静か…

 

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ヒメマスが有名だそうです。

 

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高村光太郎の乙女の像

信州の小さな美術館を思い出した。

 

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十和田神社

 

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縄文の世界が広がっていました。

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岩と苔とシダ

 

 

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十和田神社のある岬はカルデラ湖の中でもう一度噴火した内側のカルデラ部分なのです。

 

 

火山の爆発でできた十和田湖

一日目は 奥入瀬渓谷沿いのホテルに宿泊

そこでネイチャーガイドの方から奥入瀬渓谷の成り立ちとその見所についてのお話を聞くことができました。

十和田湖カルデラ湖だということも知らなかったのですが…

渓流沿いに眼を見張るような

大きな岩がゴロゴロとあるのはそういうことだったのかと。

 

=森の学校=

奥入瀬渓流ホテルにて

ネイチャーガイド 川村祐一氏

所属 NPO法人 奥入瀬自然観光資源研究会(おいけん)

 

こうみると おもしろい!「奥入瀬渓流の自然」

 

 

 

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今から100万年前に八甲田山の噴火が始まり

最大の噴火は約76万年前

八甲田火山により火砕流大地となりました

 

その後

十和田火山が噴火を始めます

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破局的噴火を繰り返し、十和田湖の原型となるカルデラ地形ができたのです

 

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そこへ雪解け水が溜まり、

約15,000年前外輪山の一部が決壊、

大洪水が深い渓谷を作りました

 

 

それから…始まった小さな小さな植物たちの

〝繊細〝な  いとなみが

小さな自然が大きな自然を作っていく事に…

 

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何もない岩の上には、木や草花は育ちにくいのです

 

岩の上に苔が生育する事で

それをマットにして他の植物が育つことができたのでした

 

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コケは胞子で増える植物です

胞子は水の上に落ちて、はじめて子孫を増やしていけるのですが、

 

奥入瀬渓流には水の豊富な環境が初めからありました

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十和田湖の決壊によってできた岩だらけの谷は

その水環境の豊かさで育まれた苔によって

多様な植物が育つ奥入瀬渓流へと変わっていったのです

 

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奥入瀬渓流の歩き方→①下流から上流に向かって歩く

水が自分に向かってくる光景、渓流の迫力を感じられる

 

 

 

 

☆コケは水分や養分を吸収するための根を持たない

☆仮根は体を岩などに固定するための機能

☆水分や養分は主に葉や茎から吸収する

→だからコケは養分の少ない岩の上でも生育できる

 

 

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コケの先祖は水の中にいる藻の仲間だったから根っこから養分を吸わないんですが…

 

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奥入瀬渓流で見ることができる木製シダの子孫→トクサ(研ぐ草)

 

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コケ植物からシダ植物へ、そして樹木、花へ…

 

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奥入瀬渓流の歩き方→②

立ち止まって見るから見えてくる!

 

立ち止まって、足元の小さな植物達に目を向けてみよう

そこに広がる命の始まりの世界

 

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お話を聞いたラウンジには、岡本太郎作の暖炉があり、その煙突はオブジェになっていました。

 

人智を超えた自然の威力の前に、人間はなんと小さなものだろう。

 

水と命、そんなことを感じながら、ふとそこにあった本棚の中に見つけた本がありました。

 

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縄文語の星地名の場所は震災の被害が無かった場所と重なるという

 

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繰り返す災害の中で得た遠い時代からの知恵を

メッセージを私たちは見失ってしまった。

 

辿れなくなってしまった祖先からのメッセージをもう一度手繰り寄せる事が出来るのだろうか…

 

 

 

足ばやに通り過ぎた旅の日々ではあったけれども

実際に肌で感じた東北の地は、

特に真ん中から東側の地域は、

圧倒的な水と岩でできた命の根源のような自然がむき出しになって、ただ、ただ、あった。

 

過酷な自然に寄り添って暮らしてきた寡黙な人々の暮らしぶりに

すーっと自分の感情が馴染んで行くのが感じられたのでした。

 

太古の昔、ここへやってきた星を見る人たちはなんと感じたのだろう…

 

まるで故郷とは違うこの過酷な大地で何を乗り越えて命を繋いできたのか

 

そう、星を見る人たちも、蝦夷も、

元ははるかな故郷を後にこの地へやってきた人々だったと思っているのです…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八甲田山〜奥入瀬渓谷。火と水の成すこと。

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霧を抜けて青森空港へと到着

 

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 空港の直ぐ隣でレンタカーを借り

一路、八甲田を抜ける十和田線103号で十和田湖奥入瀬渓谷へと向かう

 

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雪解け水と新緑が眩しい奥入瀬渓谷へ

 

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岩に飛び散る水しぶき

 

この苔が、命を生む

 

 

北へと…早池峰の女神の国へ

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ちょうどこの時から二ヶ月が過ぎた頃、菊池天明氏の『エミシの国の女神』の舞台である東北は青森の十和田と岩手の遠野の土地を旅してきました。

http://aihanum.hatenablog.com/entry/2017/03/28/163838

 

特に風琳堂様サイトにあるこの内容は衝撃的な部分と腑に落ちる部分があり、現地で何を感じるのかとても楽しみにしていました。

http://furindo.webcrow.jp/kumanosin.html

 

伊丹から青森空港

十和田湖から岩手の花巻へ、そして遠野へ。

 

旅の順番は前後しますが、

印象的な場所から日記風に軽く書き留めておきたいと思います。

 

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 伊丹から日本アルプスを縦断、

日本海側を北上し、鳥海山あたり。

ここから出羽山脈上空内陸部に入り青森空港へと降下していく。

 

 

 

 

 

案山子と川花さん

案山子を置いてある家は人が住んでいる様子でした。

軽乗用車がある!

歩いてる道は家の横を山影に向かって曲がっていくのですが、

こっちの道がさっきよりマシなのか?…

遠回りでも良いからさっきと違う道で帰りたい…

と先を見ながら案山子の横を通る。

うーん、

それにしてもこういうのって上手に作ってるよな…

ほら、人じゃないよね…っとぐるっと顔を覗き込んだら

同時に

か、お、が、う、ご、い、た。

この速度で   (*゚∀゚*)…

 

おー、びっくりした‼️

同時に、助かったー  (ToT)  🙏

 

「うわ、こんにちは。お人形が座ってるかと思ったからびっくりしました(^。^)

ごめんなさい。

あの、💦💦 この道の先って車通れますか?下に降りられますか?この下の家に車をおいてて…

花神社に行きたくて車で上がって来たんですけど、道が細くて進めなくなったから…」

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おばあちゃんが言うには、この先はすごく遠回りだし、狭くて坂も急だし、今私が来た道がいちばん良い道だと。

うちの若いもんも、下から来る人も皆がその道を使うと。

 

他にも道はあるけど、曲がりがもっときぶいよ。

 

…住んでる人が言うのだから間違いない。

あの道を通るしかないんだ、そうなのかと腹をくくったら妙に落ち着いた。

 

川花さん行きたいん?川花さんはもうすぐそこよ、寄って帰り。

ちょっとまって、私もお参り行きたいから一緒に行くよ、

お賽銭取ってくるから待っといてって。。

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ホッとして見上げた空には見たこともないような綺麗な雲が

…こういうのが竜神雲か⁉︎

 

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 オロナミンCを2本持って出てきたおばあちゃんは

杖をついてゆっくりと一緒に歩きながら、空き家の住人たちの説明をひとつひとつしてくれました。

そこには、山での厳しい現実の暮らしがありました。

 

しかし見える風景のなんと穏やかなこと…東南に開いた空からは温かい明るい日差しがふりそそぎ、

見晴らしは素晴らしく。

やっと景色を楽しむ余裕が出てきて、

私はあの神社に行けることに心がはずんできたのです。

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熊野本宮神と瀬織津姫

案山子のおばあちゃんの続きは次回にて書きます( ^ω^ )

 

瀬織津姫について、一旦こちらを投稿しておきたいと思います。

 

瀬織津姫研究の第一人者、菊池天明氏の著作である

「エミシの国の女神」

ここひと月ほど、氏の論考を少しずつ読んでいます。

今回引用させて頂くのが、こちらから。

http://furindo.webcrow.jp/kumanosin.html

 

 養老二年(七一八)、瀬織津姫神が「熊野本宮神」としてエミシの地に上陸したところが唐桑[からくわ]半島(宮城県唐桑町)とされる。同半島(舞根地区)には、その名も瀬織津姫神社が現在も鎮座している。

中略〜

 室根神社に、本宮、新宮の2社あり、本宮は伊弉冉命、新宮には、速玉男命事解男命を祀っています。
 本宮は、養老2年(718年)鎮守府将軍大野東人が、熊野神の
分霊を迎えたのが起源で、いまから1281年前のことです。(新宮は正和二年=1313年、陸奥国守護・葛西晴信の勧請…引用者)
 大野東人鎮守府将軍として宮城県多賀城にあって、中央政権に服しない蝦夷(関東以北に住んでいた先住民)征討の任についていました。
 しかし、蝦夷は甚だ強力で容易にこれを征服することができなかったので、神の加護を頼ろうと、当時霊威天下第一とされていた紀州牟婁郡本宮村の熊野神をこの地に迎えることを元正天皇に願出ました。
 東北地方の国土開発に関心の深かった元正天皇はこの願いを入れ、蝦夷降伏の祈願所として東北の地に熊野神の分霊を祀ることを紀伊の国造や県主に命じました。
 天皇の命令を受けた紀伊国名草藤原の県主従三位中将鈴木左衛門尉穂積重義、湯浅県主正四位下湯浅権太夫玄晴と、その臣岩渕備後以下数百人は、熊野神の御神霊を奉じてこれを守り、紀州から船団を組み4月19日に船出し、南海、東海、常陸の海を越え陸奥の国へと北航し、5ヵ月間もかかって9月9日に本吉郡唐桑村細浦(今の鮪立)につきました。
 この時、仮宮を建て熊野本宮神を安置しました。それがいまの舞根神社(瀬織津姫神社)です。

 

 

 

熊野本宮神と、瀬織津姫が同じ!(◎_◎;)??

 

 

先日、母方のお墓まいりにつるぎ町熊野神社へも参拝しました。

 

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徳島県美馬市つるぎ町西山

熊野神社(往古、西山十二社権現、明治初年に熊野神社と改称)

主祭神

いざなぎ命、いざなみ命、速玉男命事解男命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、ニニギ尊、彦火ホ出見尊、彦波漱武ウガヤフキアエズ尊、みずはのめ神、カグツチ神、埴安姫神ワクムスビ霊神

貞光町史より)

 

 

熊野の神が水の神だということ

その後もう一度、菊池天明氏の論を読んで衝撃を受けたのでした。

 

 

 

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瀬織津姫

この姫神の名前は中臣大祓祝詞に登場します。

 

参考

http://www.shinsendou.com/ooharai.html

 

 

内容(以下wikiより)

大祓詞は、内容から大きく前段と後段の2つに分けられる。

 

前段は、大祓に参集した皇族・百官に対して「祝詞をよく聞け」という内容の文言から始まる。

これは当初の大祓詞が参集者に対して宣り聞かせるものであったことの名残であり、今日の神社本庁大祓詞ではこの部分は省略されている。

次に、葦原中国平定から天孫降臨し天孫が日本を治めることになるまでの日本神話の内容が語られる。

そしてそのような国の国民が犯してしまう罪の内容を「天つ罪・国つ罪」として列挙し、そのような罪が出たときの罪の祓い方が述べられる。

罪の内容については、今日の「罪」の観念にあわないものが多く、差別的ととられかねないものもあることから、神社本庁大祓詞では罪名の列挙を省略して単に「天津罪・国津罪」とだけ言っている。

後段では、そのような祓を行うと、罪・穢れがどのように消滅するかが語られる。

罪・穢れが消滅する様を様々な喩えで表現した後、四柱の祓戸神によって消え去る様子が述べられる。

 

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ここに出てくる四柱の祓戸神が、

瀬織津比売速開都比売気吹戸主速佐須良比売の四神である。

 

瀬織津比売(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す


速開都比売(はやあきつひめ) -- 海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む


気吹戸主(いぶきどぬし) -- 速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ


速佐須良比売(はやさすらひめ) -- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う

 

 

 

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美馬市つるぎ町熊野神社境内の池

 

 

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徳島県那賀郡那賀町木頭字内ノ瀬56

宇奈為神社(熊野本宮を祀る熊野十二社権現)境内

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この宇奈為神社もなんと紀州湯浅氏勧請なのです。

山の中なのに豊玉姫を祀っています。

剣山を挟んで2つの熊野十二社神社があるのです。

 

 

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 美馬市つるぎ町、鳴滝

この水は木綿麻川へ

 

 

 

 

 

 

山中の瀬織津姫を祀る社

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あれは、春分の日の前日。

はじめは違う場所へと、吉野川北岸を西へ車を走らせていた。

 

午前中にお墓まいりをすませた午後のこと

どうも何か違うという違和感…車を止めてグーグルマップを検索、

今日はこの辺りに行くべき場所があったはず、、

 

可愛い名前を思い出して道を確かめる、

近いけれども最後まで道が無いが💦

…とにかく行ってみることにした。

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これは…💦

この車で行っても大丈夫だろうか…と逡巡しつつ、

迂回路の小学校まで行くことにする。

そして、あと少し行ってみようと坂道を登った途端に後悔…

 

これはあかん道ちゃう?

慌てるがバックで下る事の方が危険…

 

泣きたい気持ちできついカーブ、狭い道幅ガードレールなしの谷底沿いを片方の山側の岩肌に擦る覚悟でローに落としてゆっくり上がった。

もし、ここで、車が脱輪したりぶつかったりしても、私は生きて帰る、車を乗り捨ててでも帰ると、自分に言い聞かせながら先に進んだ。

すると坂を上った先に民家が見えて来てホッとするも、

廃屋ばかり…道幅はさらに細くなり廃屋民家の庭先へ停める…先へはもう行けるとは思えない。

 

車を降り、今の道を絶対に帰りたくないので、山の上に向かう道を確かめに歩いて上がる。

もうあの可愛い名前の神社は行けなくていい、とにかくここから安全に脱出しなくては。。

 

その時に振り返った風景

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この白い屋根の家の庭に車を停めている…あたりは全て廃屋のようだ。

人の気配がない。。

 

さらに奥へと進むと…1軒の家の庭先に私からは背を向けた形で椅子に座っている人がいた!

 

帽子をかぶってスカーフをしてエプロンをしてる…おばあちゃん。

嗚呼…そうか、

これは山里に流行っている案山子人形だわ…

人形だよ…

 

道を聞きたいのに人がいない(T_T)