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物部へ

ここに戻る時が来た…
とうとう物部村へ
 
 
 
その入り口にはやはりこのお方の姿も見え隠れする…導きの、
猿田彦神!(◎_◎;)
 
 
 
高知の物部村を訪ねるツアーに参加する事になった
と同時に、急に周りに物部の情報が増え、、
 
意図するとその情報が入ってくるのだろうか。
 
いや、どうも彼方此方から物部へ向かっている…やはり動き出した? 
 
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、、
徳島県三好郡東みよし町
この山の向こうに眠るようにひっそりとある物部の村、神秘のベールに包まれた霧の奥の世界、
行くと決めておきながら足がすくむ心持ち。
 
九州であり、出雲であり、近畿でありと日本各地に広がる物部氏の足跡であるが、この四国の山奥の物部の村、それが表舞台に上がることはあまりない。
 
物部、饒速日、鴨族のルーツがこの一帯に隠されているのかもしれない。
祖谷、剣山系の山々の山上集落は、高天原だった!?
だとしたら…
 
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加茂大神のいた加茂の里から山の奥へと
尾根、谷沿いに三嶺〜東祖谷〜物部村へ抜けるルートが見える。そのルートの中に、見えなくなってしまった古代の人々の足跡、古代神の息吹が詰まっている。
 
平家の落人も辿ったであろう、
山の民が使ったこの急峻な山岳ルートは真っ直ぐに物部村とつながっているのだ。
 

 

徳島県三好郡東みよし町(旧三加茂町)から
吉野川に注ぐ加茂谷川沿いに
 
賀茂別雷神を祀る式内社鴨神社がある。
阿波の古代史を探っていくと、ここが京都の上賀茂神社の元社となる。
 
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『…大国主命は先に述べたヒルメ命と須佐男命との誓いの御子、五人の比売神の長女多紀理比売命比売神は水神として総て水辺、海辺に住まいをしますが、長女がふる川の最も上流奥津で住んでいました。
古代山跡(やまと)と呼ばれた美万(みま)の国です。この地方では田寸理比売(たきりひめ)と呼んでいます。
式内田寸(たき)神社、下鴨社といわれる古社の祭神、この田寸理比売との間に長子阿遅スキ高日子根神が生まれています。
足代の住人で、もがりの宮は加茂山の北端、丹田の積石塚です。
加茂の大神といわれ、また当山が日本有数の雷多発地帯で別雷神とも称されています。
丹田もがりの宮は陰暦祭りの頃に葵群生する故に、この加茂の大神のまつりを葵祭りと呼ばれています。
後世、恐れ多いため、山裾に遥拝所として建てられたのが鴨神社で、本来は加茂もがりの宮そのものが鴨の宮と称される本宮です。
後世に空海が京の鎮守として下流加茂宮村の遥拝所、下加茂社共々に京都瀬津の小川の上流に分祀した為に京都の瀬津の小川が鴨川と呼ばれるようになりました』
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(道は阿波より始まる、その一より抜粋。)
 
 
 
 
さらに上流へ向かうと縄文の加茂谷川岩陰遺跡群のある新田神社。
 
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【案内看板より】
徳島県指定史跡
『加茂谷川岩陰遺跡群』昭和48年8月21日指定
四国山地から吉野川に注ぐ急流加茂谷川の渓谷に沿って点在する岩陰遺跡群。
1969年(昭和44年)に新田神社近くの岩陰で縄文土器片が発見されたことが発端となり、1970年~1973年(昭和45年~48年)に当初発見された5ヶ所の岩陰遺跡のうち、1・2・5号岩陰の調査が行われた。
1号岩陰は新田神社のすぐ裏山に位置し、粗い縄文を施した縄文時代中期の土器(船元式)や、後期の摩消縄文土器(中津式)や北白川上層式の土器が出土した。また、動物骨片やハマグリ・シジミなどの貝殻、さらに安山岩製の石匙が表面採取され、中世・近世以降の土器・陶磁器も出土している。
2号岩陰は1号の東30mに位置し、発掘区の西側で弥生土器のみを含む地層が確認され、東部に寄ったその下層から縄文時代前期や後期の土器が出土した。
また、中近世の土器・陶磁器も出土している。
5号岩陰は、宝伝岩陰とも呼ばれ、1・2号岩陰からさらに上流へ2kmほどさかのぼった、加茂谷川支流に位置しており、楕円文・山形文・複合鋸歯文などをほどこした縄文時代早期の押形文土器とともに、1000点以上の動物骨片や貝類などが出土した。
徳島の山間部における縄文時代の生活を考える上で、貴重な遺跡である。
 
 
 
ここも京都の貴船神社の元社になる…貴布祢神社
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さらに奥へと進むと、平家の落人伝説の東祖谷へとつながります。
 
栗枝渡(くりしど)八幡神社
 
徳島県の北西に位置する旧東祖谷村(東祖谷村)(現三好市)にある栗枝渡八幡神社。この神社ははるか古代のイスラエル王国と深い結びつきがあるという。
 
その不思議な結びつきは、毎年秋、満月の日に行われる例祭に表れていた!神職一人、毛槍武者6人、担ぎ手4人が奉じる八幡大神の神輿、5人の稚児を乗せた山車(だし)が一台。
そのこじんまりとした祭列の先頭では異形の面をかぶり高下駄を吐いた猿田彦命が露払いを務めていた。
 
何よりも注目すべきは、祭りを主宰する神社<栗枝渡八幡神社>の名称である。この地区そのものが昔から<栗枝渡>と呼ばれ、通称<栗枝渡神社>に八幡大神をまつってきた。
 
同社の由緒書によれば屋島の戦い(1185)に敗れた平国盛が幼い安徳(あんとく)天皇を連れて瀬戸内海から落ち延びた先がこの土地だったという。
その逃避行の果てに平国盛一行が祖谷の渓流に”栗の枝”を敷いて渡ったことから、もともとの名<栗須戸>を栗枝渡に改めたともいう。
つまりこの由緒書は源平合戦以前から<クリスト>と呼ばれる信仰施設があった事実を物語ってる。』
 
 
そして、さらに奥の
三嶺〜物部へとつづく。
 
や、は、り、⚡️⚡️雷⚡️⚡️?
 
追記☆
祖谷地方に伝わる不思議な歌をメモしておきましょう。
 
  九里きて、九里行って、九里戻る。
  朝日輝き、夕日が照らす。
  ない椿の根に照らす。
  祖谷の谷から何がきた。
  恵比寿大黒、積みや降ろした。
  伊勢の御宝、積みや降ろした。
  三つの宝は、庭にある。
  祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
  先なる車に、何積んだ。
  恵比寿大黒、積みや降ろした、
        積みや降ろした。
  祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
  中なる車に、何積んだ。
  伊勢の宝も、積みや降ろした、
        積みや降ろした。
  祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
  後なる車に、何積んだ。
  諸国の宝を、積みや降ろした、
        積みや降ろした。
  三つの宝をおし合わせ、
       こなたの庭へ積みや降ろした、
        積みや降ろした。