秦氏と火の神、竃神の煉丹術は錬金術。

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屋根の中に龍と書いて、

かまど、竃になります。

 

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旧三好郡の神社取り上げ調べ帳と地図を重ねながら、

吉野川上流の三好市の神社のご祭神を調べていたところ、

宀に龍の字の神社がありました。

なんて読む名前の神社なのだろう?

吉野川の川岸にあります。

龍だし、水の神であろうと調べてみると

澳津彦、澳津姫を祀る神社であり、竃の意味であるようです。

グーグルの地図だと竃神社になっています。

 

この字の示すように、

お産の時に建てた産屋の中には、必ずかまどを作り祀る、それが竃神の始まりだという事です。

そう、屋根の中に龍とは、まるで豊玉姫お産のイメージ✨🐊

 

産屋はとても大切な場所。産土神の産土もこの産屋の中に敷いた砂の事らしい。

海神族の慣習からきているようです。

 

徳島県三好市池田町。

 東西に流れる吉野川が南北にぐっと曲がり流れを変える場所。

 

この山に囲まれた地域に、澳津彦、澳津姫を祀る神社がとても多い事に驚きました。

吉野川を遡ると源は高知県に入ります。

祖谷の奥は高知の物部になります。

 

神社取り上げ調べ帳に付箋を貼りながら、そこに載っている全ての神社のご祭神に目を通しました。

 

しかし、この澳津彦、姫が気になったところでストップして保留状態のところへ…

 

いきなりスルスルと解けるように、

大八嶋社〜八嶋殿社を調べる事によって、

伏見稲荷空海、火の神と秦氏、そして、錬金術と煉丹術、鍛治の神までつながってしまった…のでした。

 

そう、あの!丹までも。

この旧三好郡、現在の東三好市の加茂地区に、丹田古墳があります。

そして、そこに眠るは、鴨の大神。別雷の神。鴨氏発祥の地と私が思っている処になるのです。

 

面白い。

頭の中がくるくるしても、諦めなければ必ず意味がわかる時が訪れる不思議。

 

大八嶋社については、東寺の八嶋殿社の写真を頂いた友人に教えてもらったこちらのブログの情報が素晴らしく👍

引用させて頂きますと、

 

http://s.ameblo.jp/taishi6764/entry-12128645909.html

 

【かまど神】

竈・囲炉裏・台所などの火を使う場所に祀られる神。
火の神であると同様に農業や家畜、家族を守る守護神ともされる。

古代の火の管理は、豪族の首長や神聖司祭、王侯、巫女王などの手に委ねられていた。この火の守り神である火神やその象徴物であるカマドや発火具などは、特に神聖視さて、奉斎された。

カマドの神については『古事記』の大年神の系譜に奥津比売(オキツヒメ)、 奥津日子(オキツヒコ)二神があげられる。

宮廷では、大八嶋竃神、斎火武主比命、庭火神などが知れていた。

中右記』によれば、天皇の供御を調理する内膳司には、御竃神と呼ばれるものが三所あり、
1、平野(祭りに奉仕)
2、庭火(平常の御飯に奉仕)
3、忌火(朝廷の大儀である新嘗祭、神今食などに奉仕)


▶『稲荷社事実考証記』では稲荷五社のうちの四大神の別名を「御八嶋」と呼び、稲荷山山中の荒神塚地主大神であるという。また、山中の荒神塚を荷田氏の旧跡ともしており、稲荷五社のうちの四大神→荷田氏と関係→御竃神である。

▶四大神は、『神社貫禄』によれば、松尾大社末社としてもあった。この場所は、神餞所の裏である。

 

 

▶煉丹術とは練金術を言う。 古代中国での煉丹術の意味は不老不死である。
漢の武帝は神仙学を信じ、方士の李少君を重んじていた。

金属のみならずその器具についても、聖なる魔力の信仰があり、道具を作る技は本質的に超人間的、神的であるか、悪霊的(殺人の武器も作るため)でもあった。こういった石器時代に原初的な神話の残映はおそらく神話に織り込まれている。

中国の『封禅書』
「竃えお祠れば物を致す。物を致して、丹砂は化して黄金と為(な)るべし」

▶松田壽男氏によると
「竃を祠る」とは、竃神を祠ることだけではなく、丹砂を蒸溜する釜そのものも刺している。「丹砂を蒸溜する釜」がとくに竃神として祠られた。という。

 

 

東寺についても…、

 

http://s.ameblo.jp/taishi6764/entry-12128642712.html

 

東寺に伝わる『稲荷大明神縁起』(南北朝時代
翁は和銅年中(708~715)より100年間、稲荷山の山麓の草庵を結び、昼は田を耕し、夜は巻を集め、その面貌は竜のようで、顔の上に光があたって夜を照らしたといい、その姓を荷田氏といった。稲を荷ったからであるという。

 


弘仁のころ、弘法大師がこの山で修行していたとき、この翁があらわれて、
「我ハ当所ノ山神ナリ。仏法ヲ護持スベキ誓願アリ」といいた。
そこで弘法大師は、その面貌を写しとって御神体とし東寺の竈殿(台所)に安置した。毎年の祭礼には神輿とともに出御するという。

 

大師は、竜頭太から稲荷山を譲り受けた後、稲荷明神をこの地に勧請した。その時、山麓には藤尾大明神が鎮座していたが、嵯峨天皇に奏上して深草に遷座せしめた』(大意)

 


金堂喜博氏によると「面貌は竜のようで、顔の上に光があたって夜を照らした」この神が稲作に関係ある雷神、竜蛇神であったことを表すものであるという。

 

……

 

雷神、竜蛇神✨👀✨