女布は丹生☆豊受姫は船で来た。

賣布神社
ひめふじんじゃ
京都府京丹後市久美浜町女布初岡724

 

女布と書いてニョウ。=丹生

これぞ、丹後の丹だ!

久美浜湾の少し東。

海面が少し上がればここまで湾と河口が広がっていたのかもしれない。

この女布権現山山麓には古墳が集まっている。

 

f:id:aihanum:20160903115757j:image

黄色い☆印の場所が賣布神社。

 

f:id:aihanum:20160903114332j:image

f:id:aihanum:20160903114516j:image

f:id:aihanum:20160903120131j:image

式内村社 売布神社
祭神 豊受姫命。大屋媛命。狐津媛命


由緒 当社の創立は丹後一覧記によると垂仁天 皇(十一代)代川上麻須の勧請に係るものと云う。
伝承に依れば久美浜町谷の足洗井戸があり祭神が 始めて留りし地であり野中、安養寺を経て船にて 女布に着き小字舟處に上陸されたという。この附近に 幟立ての小字があり道路そばに船石がある舟を埋めたという。
延宝三年(一六七六)女布明細帳によれば通称長船大明 神と言えりとあり南方一七〇米の地には布杜神社が あり売布神社を大宮、布杜神社を小宮とよんでいる。
明治五年四月氏子調査に依れば九ヶ村あつたがそ の後七村となり女布、丸山、郷、野中、安養寺、円 頓寺、谷の七村を云う。
元祭は旧九月二日牛の日である。
文化十年(一八一三)久美浜代官塩谷大四郎正義氏の 奉納刀がる。

-社頭由緒書-

 

f:id:aihanum:20160903114559j:image

豊受姫が舟でこの地へと来られた。

ここにその舟が埋められたという。

 

 

f:id:aihanum:20160903114636j:image

f:id:aihanum:20160903114718j:image

 

f:id:aihanum:20160903114746j:image

 

f:id:aihanum:20160903114816j:image

 

f:id:aihanum:20160903114853j:image

 

f:id:aihanum:20160903114918j:image

神武天皇社があった。

 

丸い白い石を灯篭の中においている。

阿波の神社にあるおかまごを思い浮かべる…

 

f:id:aihanum:20160903114955j:image

 

豊受姫神となった羽衣天女

豊宇気毘売神はどこから舟に乗りこの地へと来られたのか?

ここへ来る道の途中、この近くに海部という地名があった。

海部が丹生を求めて

船に乗せて姫を運んだのではないだろうか?

ウツボ舟に乗る船玉神。船魂。船霊。

 

 

この地に坐す大いなる神、豊受の大神は男神だという。

 

神を祀る巫女、神の女が機を織る羽衣天女、豊宇気毘売神。海人族の女神だ。

農業や養蚕の技術も舟に乗せてやって来たのかもしれない。

 

丹波道主命の元で集められた巫女達が大いなるこの地の神を斎き祀る。

そういう祭祀形態がこの丹後の地にあった。

その祭祀方法と巫女達は丸ごと新しい大和へ、伊勢へと持って行かれた…

新しい国家形成のために、

この地を守るために

天照の食事係として下った。

 

丹後国の地の神は天孫&長の国から来た出雲族=イヅモの海部(阿波の)に従うことを選んだ。

 

ここにも海部ワナサオフソのルーツの一端が見え隠れする…

 

 

賣布神社の祭神をもう一度… 

 

豊受姫命、大屋媛命、狐津媛命

 

狐津媛命…?❗️オオゲツヒメが隠れているわ??

 

丹と舟と女神がここでも揃った…

 

 

追記 ?つまつひめのみこと

抓津姫命
つまつひめのみこと

別名
都麻津比賣命:つまつひめのみこと
抓津彦命:つまつひこのみこと
……
建速須佐之男命櫛名田比売命の御子。 五十猛命大屋津姫命の末妹神。

抓津姫命と、兄神五十猛神、姉神大屋津姫命の三神は、父神に連れられて紀ノ国に渡られた。

また、建速須佐之男命が全身の毛を抜いて木々とし、 抓津姫命は五十猛神大屋津姫命と国中を回って植えた。