熊野本宮神と瀬織津姫
案山子のおばあちゃんの続きは次回にて書きます( ^ω^ )
瀬織津姫について、一旦こちらを投稿しておきたいと思います。
「エミシの国の女神」
ここひと月ほど、氏の論考を少しずつ読んでいます。
今回引用させて頂くのが、こちらから。
http://furindo.webcrow.jp/kumanosin.html
養老二年(七一八)、瀬織津姫神が「熊野本宮神」としてエミシの地に上陸したところが唐桑[からくわ]半島(宮城県唐桑町)とされる。同半島(舞根地区)には、その名も瀬織津姫神社が現在も鎮座している。
中略〜
室根神社に、本宮、新宮の2社あり、本宮は伊弉冉命、新宮には、速玉男命と事解男命を祀っています。
本宮は、養老2年(718年)鎮守府将軍大野東人が、熊野神の
分霊を迎えたのが起源で、いまから1281年前のことです。(新宮は正和二年=1313年、陸奥国守護・葛西晴信の勧請…引用者)
大野東人は鎮守府将軍として宮城県多賀城にあって、中央政権に服しない蝦夷(関東以北に住んでいた先住民)征討の任についていました。
しかし、蝦夷は甚だ強力で容易にこれを征服することができなかったので、神の加護を頼ろうと、当時霊威天下第一とされていた紀州牟婁郡本宮村の熊野神をこの地に迎えることを元正天皇に願出ました。
東北地方の国土開発に関心の深かった元正天皇はこの願いを入れ、蝦夷降伏の祈願所として東北の地に熊野神の分霊を祀ることを紀伊の国造や県主に命じました。
天皇の命令を受けた紀伊国名草藤原の県主従三位中将鈴木左衛門尉穂積重義、湯浅県主正四位下湯浅権太夫玄晴と、その臣岩渕備後以下数百人は、熊野神の御神霊を奉じてこれを守り、紀州から船団を組み4月19日に船出し、南海、東海、常陸の海を越え陸奥の国へと北航し、5ヵ月間もかかって9月9日に本吉郡唐桑村細浦(今の鮪立)につきました。
この時、仮宮を建て熊野本宮神を安置しました。それがいまの舞根神社(瀬織津姫神社)です。
熊野本宮神と、瀬織津姫が同じ!(◎_◎;)??
先日、母方のお墓まいりにつるぎ町の熊野神社へも参拝しました。
いざなぎ命、いざなみ命、速玉男命、事解男命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、ニニギ尊、彦火ホ出見尊、彦波漱武ウガヤフキアエズ尊、みずはのめ神、カグツチ神、埴安姫神、ワクムスビ霊神
(貞光町史より)
熊野の神が水の神だということ
その後もう一度、菊池天明氏の論を読んで衝撃を受けたのでした。
瀬織津姫…
参考
http://www.shinsendou.com/ooharai.html
内容(以下wikiより)
大祓詞は、内容から大きく前段と後段の2つに分けられる。
前段は、大祓に参集した皇族・百官に対して「祝詞をよく聞け」という内容の文言から始まる。
これは当初の大祓詞が参集者に対して宣り聞かせるものであったことの名残であり、今日の神社本庁の大祓詞ではこの部分は省略されている。
次に、葦原中国平定から天孫降臨し天孫が日本を治めることになるまでの日本神話の内容が語られる。
そしてそのような国の国民が犯してしまう罪の内容を「天つ罪・国つ罪」として列挙し、そのような罪が出たときの罪の祓い方が述べられる。
罪の内容については、今日の「罪」の観念にあわないものが多く、差別的ととられかねないものもあることから、神社本庁の大祓詞では罪名の列挙を省略して単に「天津罪・国津罪」とだけ言っている。
後段では、そのような祓を行うと、罪・穢れがどのように消滅するかが語られる。
罪・穢れが消滅する様を様々な喩えで表現した後、四柱の祓戸神によって消え去る様子が述べられる。
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ここに出てくる四柱の祓戸神が、
瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神である。
瀬織津比売(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す
速開都比売(はやあきつひめ) -- 海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む
気吹戸主(いぶきどぬし) -- 速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ
速佐須良比売(はやさすらひめ) -- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う
宇奈為神社(熊野本宮を祀る熊野十二社権現)境内
この宇奈為神社もなんと紀州湯浅氏勧請なのです。
山の中なのに豊玉姫を祀っています。
剣山を挟んで2つの熊野十二社神社があるのです。
この水は木綿麻川へ