物部とアラハバキの社へ 丹内山神社
十和田湖を後に一路岩手をめざします。
十和田湖の外輪山を越えて
発荷峠
東北の名峰岩手山が美しい姿を見せていました。
そして、花巻インターから東へ
花巻から遠野に向かう途中にある神社を探しながら…
実はこの旅行の前に携帯が故障し、
新しく変えたばかりでした。
古い携帯のGooglemapにチェックしていた行きたい場所の候補地がWi-Fiがないと検索できなくなっていて…
記憶の元に使い慣れないレンタカーの古いカーナビに頼るしかないという事態…
☆☆☆…
神社の一番奥、アラハバキを祀るという本殿裏の磐座 です。
坂上田村麻呂が東夷征伐にこの地へ入り真っ先にここで戦勝祈願をしたという物部の本拠地
物部の巫女たちが祈りを捧げていた場所でもあるそうで…
この旅の大きなポイントでありました。
では入り口から
丹内山神社と藤原清衡公の由来 の看板より
当神社は地方開拓の祖神として栄え、延暦年間、坂上田村麻呂が東夷の際に参寵される等、日ごと月ごとに霊験あらたかで、嘉保三年(1096)頃から当時の管領藤原清衡公の信仰が篤に厚く、耕地二十四町歩を神領として寄進され、また山内には御堂百八ヶ所を建立し、百八躰の仏像を安置した社と伝えられています。
藤原清衡は、隣の郡である江刺の餅田の館に居住していたことから、当神社に距離も近く、毎年の例祭には清衡自ら奉幣して、祭りを司っていたといわれています。その後には、安俵城主小原氏、(平清義、時義、義清)更には、南部藩主南部利敬公の崇敬が厚く、藩主の祈願所として栄え、現在に至っています。
東和町観光協会
参拝順序は一番上のアラハバキ巨石から
二つの由緒
一つ目→
『この神社の創建年代は、約千二百年前、上古地方開拓の祖神多邇知比古を祭神として祀っており、承和年間(八三四~八四七)に空海の弟子(日弘)が不動尊像を安置し、「大聖寺不動丹内大権現」と称し、以来、神仏混淆による尊崇をうけ、平安後期は平泉の藤原氏、中世は安俵小原氏、近世は盛岡南部氏の郷社として厚く加護されてきたと伝えられる。さらに、明治初めの廃仏毀釈により丹内山神社と称し現在に至っている。(丹内山神社境内案内)』
朱の姫神オルゴナイト持参
二つ目の由緒
本殿裏
『アラハバキ大神の巨石(胎内石)
千三百年以前から当神社霊域の御神体として古から大切に祀られている。地域の信仰の地として栄えた当社は、坂上田村麿、藤原一族、物部氏、安俵小原氏、南部藩主等の崇敬が厚く、領域の中心的祈願所であった。安産、受験、就職、家内安全、交通安全、商売繁昌等の他、壁面に触れぬようにくぐりぬけると大願成就がなされ、又触れた場合でも合格が叶えられると伝えられている巨岩である。』
参拝後の階段を降りている時に目の前にふわりと赤いモノが…
思わず拾って上や周りを見回しましたが、紅葉は見当たらず…🍁
旅の参考資料
風琳堂さんのサイトより