オシラサマと狐
遠野市伝承園
国重要文化財 南部曲り家 旧菊池家住宅内
御養蚕堂(おしらどう)
千体のオシラサマが安置される
オシラサマ伝説
昔あったずもな。
ある百姓家にとど(父)とかが(母)と、かわいい娘と若駒が一頭住んでいたど。
年が経つにつれ、娘は輝くばかりに美しくなり、若駒も立派な馬っこになっていたど。
娘は何かするとすぐ馬屋さ行って、馬とばかり楽しそうに話っこしたり笑ったりしているんだど。
そこで、とどがたずねると
「おら、ほだって馬と夫婦になるもの」
と、娘が答えたド。とどは、たんまげで
「そんな馬鹿な。人間と馬が夫婦になるなんて」と、絶句した後
「お前もお前だが、馬も馬だ」と、いうなり馬をひっぱりだすと、桑の木につるして皮をはぎ始めたど。
娘が
「そんなごど、やめてけろ」って叫んでも、とどはきかなかったど。
もう少しではぎあげる時、不思議にも馬の皮がすっぽりと娘を包んで天に昇ってしまったど。
…
ある晩、娘が夢枕に立って教えたど。
「おれの親不孝許してけろ。その代わり○月○日庭の臼の中見てけろ。その虫を桑の葉で養ってまゆっコ作れば高く売れるから」
なるほどその通りで、オシラサマは、養蚕の神様になったんだど。
また、オシラサマは目の神様であり、女の病気の神様、お知らせ、予言の神様でもあるんだどさ。
どんどはれ。
とおの昔話 語り部の会さまによる
昔話の夕べより。
この旧菊池家にあった糸車は、
誰もいないのにクルクルと廻る音がしていたそう(奥州座敷わらしの昔話)
遠野の旧家に伝わるオシラサマ伝承。
元は母から娘へ伝えてきたものが、
巫女たちに託されるようになって
オシラサマ伝承の話の内容も少しずつ各旧家で違っていったそうです。
蚕祭文
「おしら神の祭日に巫女が蚕おしら遊びをさせながら唱える」
口伝で養蚕の歴史を伝えて来た。
六角牛山を守る姉神の神社に伝わるとされる蚕祭文はオシラの祭文、またをシラアの祭文といわれる。
蚕養宮
本尊は保食姫の神で俗にいう稲荷様と云われる同神で農業全般の守り神様で矢張り田村麻呂将軍の頃に祀られたものと云われている。
扁額の養蚕の蚕の字は、天天日虫虫。←蚕の旧字体。
この養蚕の神が遠野ではオシラサマといわれている。
姫と狐…
六神石神社の本殿真後ろに祀られているのが、この養蚕宮でした。
六神石神社は背後の六角牛山を拝する神社であり、
六角牛山には住吉の神も祀られているという。
早池峰山と共に海の民達の信仰が厚い。
本殿後ろに回ってびっくり。
摂社の社が全て赤に塗られていました。