大宜都比売と別雷神を祀る富持神社
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/kamituneyosi.html
上記、斎藤喜一さまサイトより転載。
『大宮町誌』
冨持神社
祭神 天叢雲命・椎根津彦命
ー中略ー
「中郡神社明細帳」には、当社は元加茂神社と称していたが、明治一四年一一月二九日に、冨持神社と改称して許可されたとある。「丹哥府志」にも、加茂大明神として祭日を九月一八日としている。現在の祭は一〇月一〇日である。神楽と太刀振りを奉納する。
加茂神社
祭神 別雷命
由緒不詳、元蛭子神社と称していたが、明治一四年一一月二九日加茂神社と改称する。
咋岡神社
祭神 大宜都姫命
由緒不詳、元杭(ふじ)岡神社と称していたが、明治一四年一一月二四日咋岡神社と改称する。大宜都姫命、豊受大神と同体の神である。この両神社は昭和一五年冨持神社の本殿新築の際、本殿上屋の中に祀る。
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ここは磯砂山(比治山)麓のフジヒジクジ系、クシフル系の神社。
北に藤社神社、南に比遅神社、東に富持神社ということになる。いろいろと習合したようだが、本来の祭神は大宜都姫=豊受大神と思われる。祭日が三月一八日ともあるが、これは藤社の天目一箇神の祭日と同じで、カジヤの祀る神様。
観音寺神名帳の「従五位上 賀茂明神」はこの社かも知れない。
転載終わり
富持神社の正面に見える磯砂山(いさなごやま)です。
見事な苔の絨毯に覆われた参道
背後の山から染み出す水の水路に浮いたような本殿
本殿の中には見事な龍神の彫り物
大宜都比売と別雷神
天叢雲神、椎根津彦
が祀られているそうだが、
龍神が彫られていた
湧き水が、甘くて美味しかった。
清らかな水が溢れる神社でした。
まだまだ…
熊野大神と水の神、
その足跡を追いかける旅は続いているようです。
富持神社のフジは藤を思い浮かべ、
大宜都比売と別雷神(鴨族)を祀っている神社だということが気になり訪れたのでした。
以下の内容を
こちらのサイトさまから転載させていただきました。
http://www012.upp.so-net.ne.jp/houi/tango.htm#isanago_toyouke
藤と、クナトの神と、竜蛇神について
籠神社の御神幸の神事は、藤の花を冠にかざすことが千古の慣例になっていて、
社伝では欽明天皇の御代に始まったと見えているというが
海部穀定氏によれば、「花開けば、真名井の水を結ぶという。
藤と真名井に関する神秘は、今尚、千古の古儀を伝えて、与佐宮、後の籠神社祭礼の伝統は、この神事を中心に存続されている。」のであり、
御饌の井には、その周辺に藤が植えられていて、藤池とも云っているのであって、藤は即ち比治なのである。」とするが、藤が単に比治の転化だとすれば、これほどに藤へのこだわりが生じるであろうか。
真名井神社の本当の祭神が熊野の大神すなわちクナトノ大神であり、諏訪大社では出雲神族とタテミナカタと藤が結びついているということは、丹波においても最初から竜蛇神をあらわす藤だったのではないだろうか。
筑紫申真『アマテラスの誕生』によれば、古事記で阿治志貴高日子根命を同母妹の高比売命がその御名を顕そうとして歌った「天なるや、弟棚機(おとたなばた)のうながせる、玉のみすまる、みすまるの、あな玉はや、三谷二渡らす、阿治志貴高日子根の神ぞ。」で
折口信夫氏は「三谷二渡らす」とは、蛇の姿となって訪れてくる神のそのかたちが、谷をこえて長大であることを形容したものだと説いているという。
日本書紀の一書では、天稚彦の喪に集まった人が詠んだとも、下照姫が集まった人達に、岡や谷を照り渡るものは、味耜高彦根神であることを知らせようとして詠んだともされている。
弟棚機は棚機つ女と結びつく言葉であろう。吉野裕子『隠された神々』によれば、古代日本人が目にみえるものとしてとらえようとしたのは、常世の神であり、それは祖神としての蛇神であったと思われ、日本の古代信仰における祭りの大きな特色は、神を目に見える形に顕現させ、それを鄭重に迎えて饗応し、援福を願って再び常世に送り出す、とういことにつきると思われるとする。
富持神社の祭神は、天叢雲命・大宜都姫命・椎根津彦命・別雷神であり、籠神社の極秘伝によれば、彦火明命は山城の上鴨の別雷神と異名同神であるという。
丹後において、彦火明命はクナトノ大神と習合するとともに、天照国照という名前は天稚彦・味耜高彦根命とも関係しているから、富持神社の別雷神は味耜高彦根命と異名同神とみなすべきであろう。
富持神社の祭神が味耜高彦根命だとすると、
富持神社と粟鹿神社が東北60度線をつくり、粟鹿神社と兜山(熊野神社)が南北線、兜山(熊野神社)と伊去奈子嶽が西北30度線をつくり、
伊去奈子嶽と富持神社が東西線をつくるとともに伊去奈子嶽は富持神社の神体山ともいえる山であることから、
伊去奈子嶽と出雲神族が深く関係していたことは方位線的にもいえるのではないだろうか。
転載終わり
本殿、拝殿周りのお堀にいた大きなカエル🐸
神社の前の畔のツユクサ
『古くから日本人に親しまれたツユクサ(古名では「つきくさ(月草・鴨頭草)」)は、『万葉集』にも詠われています(9首)朝咲いた花が昼しぼむことから、はかなさの象徴として詠まれたものが多いようです』
朝露に 咲きすさびたる つき草の
日くたつ(或 日たくる)なへに 消(け)ぬべく思ほゆ
朝(あした)咲き 夕(ゆうべ)は消(け)ぬる つき草の
消(け)ぬべき戀(こひ)も 吾(あれ)はするかも
http://hananokotoba.com/tsuyukusa/