元伊勢?白い狐が守る金比羅大権現
磯砂山を囲む三つのフジ神社のことは以前にこちらで書いていますが、もう一度転載してみますのでよろしければ読んでみてください。
http://aihanum.hatenablog.com/entry/2017/10/01/002043
斎藤喜一さまサイトより転載。
『大宮町誌』
富持神社
祭神 天叢雲命・椎根津彦命
ー中略ー
「中郡神社明細帳」には、当社は元加茂神社と称していたが、明治一四年一一月二九日に、富持神社と改称して許可されたとある。「丹哥府志」にも、加茂大明神として祭日を九月一八日としている。現在の祭は一〇月一〇日である。神楽と太刀振りを奉納する。
加茂神社
祭神 別雷命
由緒不詳、元蛭子神社と称していたが、明治一四年一一月二九日加茂神社と改称する。
咋岡神社
祭神 大宜都姫命
由緒不詳、元杭(ふじ)岡神社と称していたが、明治一四年一一月二四日咋岡神社と改称する。大宜都姫命、豊受大神と同体の神である。この両神社は昭和一五年富持神社の本殿新築の際、本殿上屋の中に祀る。
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ここは磯砂山(比治山)麓のフジヒジクジ系、クシフル系の神社。
北に藤社神社、南に比遅神社、東に富持神社ということになる。いろいろと習合したようだが、本来の祭神は大宜都姫=豊受大神と思われる。祭日が三月一八日ともあるが、これは藤社の天目一箇神の祭日と同じで、カジヤの祀る神様。
観音寺神名帳の「従五位上 賀茂明神」はこの社かも知れない。
転載終わり
元の名前が加茂神社で、蛭子神社、
咋岡神社に大宜津比売が祀られ元杭岡神社だった。
咋→杭→フジと読ませる→藤
大宜津比売、豊受大神と同体だとのこと。
まぁ、なんと!
別雷神と大宜津比売
蛭子に
そして咋、杭です。
阿波の最近の動向から考えるとびっくりするようなキーワードが並んでいます。
いよいよ、今まで追いかけてきた大宜津比売の移動のルートが…足跡が…しっかりと見えてきました。
この富持神社は磯砂山をめぐる三つのフジ、クシフル系の神社 の一つでしたが
今回は磯砂山の南側、但馬国との境にある比遅神社で見た事を書いておこうと思います。
比遅神社
http://www.genbu.net/data/tajima/hiji_title.htm
『資母村誌』に「丹後國丹波郡比治麻那爲神社と同社なり。後の山を比治山、又はいさなご山、又葦占山、或は眞名井と云ふ。一山四名あり、伊勢外宮の本つ宮なり。藤ヶ森は比治が森なり。」とあるらしく、「比治=比遅」とする説。
玄マツコさま上記ブログ内より
集落の人家の間の細い道を奥へと
そして林道へ、杉の葉の積もる道を奥に進みます。
赤い色に染まった石、鉄分を多く含む水が流れていると思われます。
とにかく降り積もる杉の葉
人の歩いた様子がない。
横にある摂社に近づいてみたら
姥山稲荷
白い狐が守るのは…
金比羅大権現!?(^。^)!