常世の国と橘と…久美浜湾の甲山〜間人の立岩へ

FB投稿からの忘備録としてこちらへも。

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兜山頂上に祀られている熊野神社

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熊野神社へと登る途中、赤い土が気になって…)

 

『ふるさとのむかしむかし』
橘の伝来と木津
 但馬の国司、田道間守という人が、垂仁天皇の命をうけ、常世国へ、非時香菓を求めに出かけたということは「日本書記」の垂仁天皇九十年に記されています。
 香菓というのは橘のことでミカンの原種である。また常世国とは、南支那方面であろうとの説もあります。
 田道間守が、十か年もかかって香菓を持ち帰ったのは今の浜詰の海岸で、函石洪に近い清水岩あたりだと言い伝えています。
 この浜に上陸したから、陸路を木津庄地内の女布谷の田神山に神籬を設けられ、無事帰国の神恩にたいしお礼の祭典をあげられました。田道間守はそれより日和田を越えて、熊野郡を横断し、川上村須田で休まれ、それより峠を起して自領の但馬国へ向われたといいます。
 祭典をあげられた田神山には村人がその後豊宇気の神を祭祀しましたが、これが現在の式内売布神社の創建であります。
 本土に初めて橘が到来した土地であるのでこの地を「タチバナ」と言い 後に橘を音便で読んで「キツ」と言い、「木津」と書くようになったのだそうです。(原話 井上正一)

斎藤喜一さまサイトよりお借りしました。

http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/kitu.html

 

 

 

ふと目が覚めて、あ、あの神社調べなきゃ
と検索してるとやはり斎藤喜一さんのサイトに当たる。
久美浜熊野神社〜立岩へ向かう途中見かけた網野町木津の賀茂神社の事だ。
木津には売布神社もある。もうひとつの売布神社はここだった。

木、キ、紀氏とつながる道、それは丹生の道でもあるのか

キツは橘と…
タヂマモリのトキジクノカグノミで飛鳥にも繋がる。
京都の木津川と、伏見の紀伊

丹生、売布、女布、ニョウ、水銀
薬と毒

キツネって
橘、根??
これは思いつき…

そして加茂

 

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聖徳太子と間人皇
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