大和大国魂神社🌸淡路

大和大国魂神社 淡路

御原の海人を統率した倭氏ゆかりの神社
淡路国二ノ宮
大和社印が出土

 

 

奈良の大和坐大国魂神社大和神社、おおやまとじんじゃ)

よりこちらが古いと。

そしてそれより古いのが阿波の倭大国魂神社だと。

 

倭大国魂神とは誰のことなのだろう…

 

大和神社

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE

引用

 

日本書紀』によれば、元々倭(日本)大国魂神は天照大神とともに大殿に祀られていたが、世の中が乱れ謀反を起こすなどするのは、両神の勢いだと畏れられた。そのため崇神天皇6年、倭大国魂神を皇女渟名城入姫を斎主として祀らせたが、淳名城入姫は髪が落ち体は痩せて祭祀を続けることができなくなった。崇神天皇7年2月、倭迹迹日百襲姫命が夢で「市磯長尾市をもって、倭大国魂神を祭る主とせば、必ず天下太平ぎなむ」との神託を受けた。また同年8月7日にも、倭迹迹日百襲姫命大水口宿禰・伊勢麻績君らが同じ夢を見たため、同年11月に大倭直の祖・市磯長尾市(いちしのながおち)を祭主として、神地が定められ鎮座・創建された。 この伝承からアマテラスを天神とし、ヤマトノオホクニタマを地祇とする性格をはっきりさせたことが読み取れる。垂仁紀はもっと詳細に出ている。

 

 

 

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🌸🌸桜の神紋🌸🌸
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ハタ
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葦からーー茅渟への疑問➁
オオタタネコを探し出した茅渟県陶邑とはどこにあったのだろうか?

茅、
葦、の名が残る
この人たちが古代スズ鉄の民だったのか?

アイラ=月(トルコ語

オオタタネコ倭大国魂神を祀ることのできる末裔である。

日本書紀原文「崇神天皇オオタタネコを探し出す」

 

秋八月癸卯朔己酉、倭迹速神淺茅原目妙姫・穗積臣遠祖大水口宿禰・伊勢麻績君、三人共同夢而奏言「昨夜夢之、有一貴人誨曰『以大田々根子命爲祭大物主大神之主、亦以市磯長尾市爲祭倭大国魂神主、必天下太平矣。』」天皇、得夢辭、益歡於心、布告天下、求大田々根子、卽於🌟茅渟縣陶邑🌟得大田々根子而貢之。天皇、卽親臨于🌟神淺茅原🌟、會諸王卿及八十諸部、而問大田々根子曰「汝其誰子。」對曰「父曰大物主大神、母曰活玉依媛。陶津耳之女。」亦云「奇日方天日方武🌟茅渟🌟祇之女也。」天皇曰「朕當榮樂。」乃卜使物部連祖伊香色雄爲神班物者、吉之。又卜便祭他神、不吉。

 

 

天皇はすぐに自ら神淺茅原(カムアサジハラ)に出向いて、諸王卿(オオキミタチマツヘツキミタチ=王さま達)と八十諸部(ヤソモロトモノオ=沢山の「伴」の主張)が集まって、大田々根子(オオタタネコ)に尋ねました。
「お前は、誰の子か?」
大田々根子(オオタタネコ)は答えました。
「父は大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)といいます。
母は活玉依媛(イクタマヨリヒメ)といいます。
(活玉依媛は)陶津耳(スエツミミ)の娘です」
また言いました。
「奇日方天日方武茅渟祇(クシヒカタアマツヒカタタケチヌツミ)の娘です」