霊鎮めと不思議な歌
古代東山道
今から1300年前、朝廷は近江の国 勢多から 陸奥の国 多賀城まで通じる長さ1000kmの「東山道」を作りました。
この道は地方を支配する「支配、軍事の道」、九州北辺の防備に徴用された「防人の道」、都へ税を運んだ「納税の道」、信濃国で生産された馬を運ぶ「貢馬の道」として利用されていました。
この東山道最大の難所「神坂峠」標高1576mは、
山高く谷深いことから気候の変化が激しく、濃霧や落雷とどろく場所であったため通る旅人を大変苦しめました。
しかし、難所ではあったものの、東と西を分けるこの峠を越えればあと何日と、旅の予定も立てられる道であったことから、東海道よりも賑わったと言われています。そんな難所は、通った人々の印象に強く残り、多くの旅人たちが都にそれを伝えました。そうして神坂峠やその麓である園原は広く知られ、古事記、日本書紀をはじめとして多くの古文学に地名や歌枕として登場します。
(東山道と古文学 園原の里 園原ビジターセンターははき木館 案内書きより)