籠神社 葵祭り 藤祭り

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丹後国一宮籠神社 葵祭

藤まつりともいうそうだ。

山城の賀茂の祭りは葵の葉を

丹後の葵祭りには藤の花房をつける。

境内ではちょうど藤の花が盛りを迎えるところでした。

2018年4月24日

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神事の間、

境内外の門前は

太刀振りや神楽で賑わっています。


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神事を終えて御神体を乗せた神輿の行列が真名井神社へと
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写真の順番が前後していますが

神輿にお移りになった神さまが籠神社を出て

この後真名井神社へと向かうところです。
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とくし丸が!こんなところに(^。^)


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この日は、天橋立駐車場に車を停めて

船に乗り、海の参道でお参りをしました。


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雨の葵祭りも

風情があります。

後ろの正面だあれ?藤社(ふじこそ)神社

もうしばらく前になりますが、こちらからの続きで、藤社(ふじこそ)神社へと足を運びました。

 

http://aihanum.hatenablog.com/entry/2017/10/01/002043

富持神社、ここは磯砂山(比治山)麓のフジヒジクジ系、クシフル系の神社。 北に藤社神社、南に比遅神社、東に富持神社ということになる。

いろいろと習合したようだが、本来の祭神は大宜都姫=豊受大神と思われる。祭日が三月一八日ともあるが、これは藤社の天目一箇神の祭日と同じで、カジヤの祀る神様。 観音寺神名帳の「従五位上 賀茂明神」はこの社かも知れない。

 

***

 

いさなご山の北側、場所は比沼麻奈為神社の近く竹野川支流鱒留川の側、鱒留という名の地区にあります。

 

【地名の由来は、ここでは藤社明神の使いの鱒が竹野川をさかのぼり当地で留まったことによるとも、豊受大神に仕えていた河上摩須郎女が住んでいたことによるともいう。鱒を捕えて食すと腹痛をおこすと言い伝えられていて近年までは誰も鱒を捕えなかったという。かつては実際に鱒は遡上していたようである。
『中郡誌稿』斎藤喜一さまサイトより】

 

…鱒を食べない、、鮭を食べない、

これは朝来の倭文神社伝承を思い出す

由良川近郊や、京都の知人の家の伝承にもあると聞いた

遥か東北の遠野もそうではなかったか…

伝承の一致する、川を遡上する魚に乗ってやってくる女神は…同じ民たちの祀る神ではなかったか。

海神=川神=山神…

 

ああ、そうだった

FB友人の投稿から興味を持ち

最近読んだ石牟礼道子さんの著書を思い出した

椿の海の記から

 

『… 川の神さま方は、山の神さまでもあって、海からそれぞれの川の筋をのぼり、村々を区切って流れる小さな溝川に至りながら、田んぼの畦などを、ひゅんひゅんという声で鳴きながら、狭い谷の間をとおってにぎやかに、山に向かっておいでになるが、春の彼岸に川を下り、秋の彼岸になると山に登んなさるという。…』 

 


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天神地祀祭の碑

比沼麻奈為神社そばに船岡神社があり、丹波道主王の館跡と言われる。

 

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船岡神社御由緒には

丹波道主の館、船岡は府の丘とも。

ここで食物の神、豊受大神を祀って八乙女に奉仕させ善政を行いました。」

 

このあたり一帯が丹波道主王が善政を行なっていた大丹波国、タニハの国の中心地であったのだろうか

藤社神社は比沼麻奈為神社と共に外宮の元宮とも言われ、豊受大神をお祀りする場であった。

 

籠神社に伝わる丹後国一宮神秘によると、丹波道主王、彦火明命、別雷神は異名同神であるというが…

 

天目一箇神が境内に祀られている

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拝殿の真後ろに祠があり、足を運んで驚いた


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本殿と思われる祠に祀られていたのは

和奈佐夫婦だった

狐も共に…

 

まるで、後ろの正面のように…祀られて居たのは、わなさ、それはどこからやってきたのかはもう何度も書いてきた。

 

播磨国風土記の中にある履中天皇の時代のわなさのしじみの話、

わなさとは阿波徳島の阿南の海部の海のことだ。

 

【美囊(みなぎ)の郡・志深(しじみ)の里  

播磨国風土記には「昔、履中天皇が国の境を定められたとき、志深の里の許曽(こそ:古代朝鮮語で尊敬の意味)の社にやってこられて、

『この土地は水流(みながれ)が大変美しいなあ』とおっしゃいました。そこで、ミナギの郡という名がつきました。」とあり、続いて、

履中天皇が、ここの井戸のそばで食事をなさったとき、シジミ貝が弁当の箱のふちに遊び上がりました。

そのとき、天皇が『この貝は、阿波の国の和那散(わなさ:徳島県海部郡海陽町)で私が食べた貝だなあ』とおっしゃいました。そこで、シジミの里と名づけました。」とあります。】

播磨風土記紀行〜古の播磨を訪ねて様より

http://www.harima-united.jp/column/climate/contents000112.html

 


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和奈佐老翁と書かれていたような…

あまりに驚き、写真を撮るのを躊躇った。

手を合わせ撮らせてもらう許可をお願いして、手元だけで一枚撮らせてもらった。

それほど威圧的に感じる空気だった

こうやって公にしていいものかとも

思ってしまうのだが、、

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五角形の地鎮塔

 

☆☆☆

 

かごめかごめ

籠の中の鳥は

いついつ出やる

夜明けの晩に

鶴と亀がすべった

 

後ろの正面だあれ?

 


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気になったのが、この蛤のような岩が二つと

三本の杉の木でした。

これは、、亀🐢?

 

亀はイワクラ

鶴は…

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常世の国と橘と…久美浜湾の甲山〜間人の立岩へ

FB投稿からの忘備録としてこちらへも。

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兜山頂上に祀られている熊野神社

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熊野神社へと登る途中、赤い土が気になって…)

 

『ふるさとのむかしむかし』
橘の伝来と木津
 但馬の国司、田道間守という人が、垂仁天皇の命をうけ、常世国へ、非時香菓を求めに出かけたということは「日本書記」の垂仁天皇九十年に記されています。
 香菓というのは橘のことでミカンの原種である。また常世国とは、南支那方面であろうとの説もあります。
 田道間守が、十か年もかかって香菓を持ち帰ったのは今の浜詰の海岸で、函石洪に近い清水岩あたりだと言い伝えています。
 この浜に上陸したから、陸路を木津庄地内の女布谷の田神山に神籬を設けられ、無事帰国の神恩にたいしお礼の祭典をあげられました。田道間守はそれより日和田を越えて、熊野郡を横断し、川上村須田で休まれ、それより峠を起して自領の但馬国へ向われたといいます。
 祭典をあげられた田神山には村人がその後豊宇気の神を祭祀しましたが、これが現在の式内売布神社の創建であります。
 本土に初めて橘が到来した土地であるのでこの地を「タチバナ」と言い 後に橘を音便で読んで「キツ」と言い、「木津」と書くようになったのだそうです。(原話 井上正一)

斎藤喜一さまサイトよりお借りしました。

http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/kitu.html

 

 

 

ふと目が覚めて、あ、あの神社調べなきゃ
と検索してるとやはり斎藤喜一さんのサイトに当たる。
久美浜熊野神社〜立岩へ向かう途中見かけた網野町木津の賀茂神社の事だ。
木津には売布神社もある。もうひとつの売布神社はここだった。

木、キ、紀氏とつながる道、それは丹生の道でもあるのか

キツは橘と…
タヂマモリのトキジクノカグノミで飛鳥にも繋がる。
京都の木津川と、伏見の紀伊

丹生、売布、女布、ニョウ、水銀
薬と毒

キツネって
橘、根??
これは思いつき…

そして加茂

 

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聖徳太子と間人皇
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天翔けるキツネ ☆アマツキツネ ①

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天翔けるキツネとは

尾を引いて空を飛ぶ彗星を意味した。

 

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アメリカ合衆国アリゾナ州のカタリナ天文台で1974年11月1日に撮影されたコホーテク彗星】

ウィキペディア画像

 

 

彗星、ほうき星とアマツキツネ

 

【中国・殷の卜占を記した甲骨文などの古代の資料からは、人間が彗星の出現に数千年の昔から気づいていたことが分かっています。中国では古代から占星術が盛んで、流星に関する記録も多く、色や飛び方によって10種ぐらいに分類していました。


音を立てて 飛ぶ大流星「天狗(てんこう)=天を駆けるキツネの意」はその落ちる 先で大きな戦乱が起きるとされていました。


日本でも「天狗」という名が初めて登場するのは「日本書紀」の舒明天皇9年春で、流星を「天狗」と記しているが、これは「アマツキツネ」と読み、不吉な象徴としての表現としていました。


鼻が高かったり、カラスの姿をしている天狗は流星を修験者や神仏になぞらえたものだったのです。】

 

Yahoo!知恵袋より

 

 

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山海経』より「天狗」の姿

 

天狗

【 元々天狗という語は中国において凶事を知らせる流星を意味するものだった。大気圏を突入し、地表近くまで落下した火球(-3〜-4等級以上の非常に明るい流星)はしばしば空中で爆発し、大音響を発する。

この天体現象を咆哮を上げて天を駆け降りる犬の姿に見立てている。

 

中国の『史記』をはじめ『漢書』『晋書』には天狗の記事が載せられている。天狗は天から地上へと災禍をもたらす凶星として恐れられた。

 

仏教では、経論律の三蔵には、本来、天狗という言葉はない。しかし、『正法念處經』巻19[1]には「一切身分光燄騰赫 見此相者皆言憂流迦下 魏言天狗下[2]」とあり、

これは古代インドのUlkā(漢訳音写:憂流迦)という流星の名を、天狗と翻訳したものである。

 

日本における初出は『日本書紀舒明天皇9年2月(637年)、都の空を巨大な星が雷のような轟音を立てて東から西へ流れた。人々はその音の正体について「流星の音だ」「地雷だ」などといった。そのとき唐から帰国した学僧の旻が言った。「流星ではない。これは天狗である。天狗の吠える声が雷に似ているだけだ」

 

飛鳥時代日本書紀に流星として登場した天狗だったが、その後、文書の上で流星を天狗と呼ぶ記録は無く、結局、中国の天狗観は日本に根付かなかった。

そして舒明天皇の時代から平安時代中期の長きにわたり、天狗の文字はいかなる書物にも登場してこない。平安時代に再び登場した天狗は妖怪と化し、語られるようになる。】

ウィキペディアより

 

 

 

ほうき星、フサフサと長いキツネの尻尾のような彗星が夜空に輝く

大昔の人々はそれを不吉な印として見ていました。

天翔けるキツネは天変地異の象徴だったのです。

 

天に現れる恐ろしいキツネを崇め、どうか天変地異の無いように、今年の耕作にも豊かな実りを…と願い祈ったのでしょう。

 

キツネは彗星

天翔ける狗、犬とも、

 

古代インドのウルカという流星の名前が天狗となったとウィキペディアには書かれていました。

ウルカ…

ウカ

 

 

 

 

そして弘法大師 空海の予言

 

空海は四国の狐を追い出した

鉄の橋が架かかるとき、追い出されたキツネは帰ってくる

 

大狐、オオキツネ、おおげつね

 

 

 

 

 

 

 

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播磨国風土記講座と阿波と鴨

ここ数年、加西市で催されている播磨国風土記講座へ参加しています。

講師は元国際日本文化研究センター准教授、国学者光田和伸先生。

専門の和歌の研究視点、自分の足での徹底的なフィールドワークからの播磨国風土記の解明に独自の説を解説、その魅力溢れる講義に聴講生が多すぎて会場変更になったというくらい、毎回聴き逃せない内容の講座です。

その中でも熱心な質問をされる女性が長年の研究を本にされています。

そのご本を頂きました。

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ホームページはこちら。

https://harimafudoki.jimdo.com/➏-2-孝橋明子の風土記研究コーナー/

 

この方は韓国語に堪能でいらっしゃるということで、難解な万葉集の歌を解読されたことが話題になっていました。

ご著書のまえがきの部分から引用させていただきます。

『二〇一三年の初めに、姫路文学館で上田正昭館長と光田和伸先生が「播磨国風土記」のお話をなさいました。光田先生には、「古事記の歌謡」や「芭蕉の俳句」などを姫路文学館で教えていただいていましたが、風土記の話はその時初めて聴きました。その後、韓国語と風土記のことなどを先生とお話する機会があり、先生から、「韓国語のことを書きなさいよ」と勧めていただきました。そこで、書いたものを先生に見ていただいた時、「はりま風土記の里を歩く会」の会員で、加西市の「播磨国風土記」の講座にも出席されていた小幡惠吾氏がご自身のホームページに載せませんか?と勧めてくださいました。そして、小幡氏が管理されている「播磨・風土記の里」のホームページに「孝橋明子の風土記研究」のコーナーができました。…』

ここに書かれているように、この著書の中では、孝橋明子氏の韓国語の見識により播磨国風土記の世界を紐解いておられます。

 

その、壱話、播磨国風土記と韓国漢字音

ニ、望理と鴨波と安相

の項目に

驚く考察が書かれていました。

!!

これは!?

少なくとも私が注目している視点から見ると、

飛び上がるほどの事が書かれています。

 

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播磨国賀古郡(はりまのくに かこのこほり)

鴨波里(あははのさと)では

たくさんの粟を種いたので、粟粟里という」とあります。

韓国漢字音では、鴨は[ap]、波は[pa]と発音します。』

‼️

。。。

‼️‼️‼️

 

古代日本では、

鴨はアハと発音する!

 

えーーー

 

あちこちにある土地名、神の名、

粟、阿波、安房、阿波波神(あわわ)、阿波女神(あわめ)

 

そのアワを鴨と変換すると、鴨族の移動の地、鴨族の神の名前ということになるのではないのでしょうか。

阿波国は鴨国の意味となる!?

 

光田先生の持論でも、

鴨の王家は母系であり、鴨族の娘を皇后にする事がこの国の王家の印となると仰っています。

 

追記

 

阿波の古代史を追いかけていると、鴨族と阿波の関係はもうすでに明らかな事なのですが、

その阿波、アハの語源が

ひょっとしたら韓国語、百済などの渡来系の人々の言葉から来ていると考えるととても面白いです。

 

伊豆の神津島には特に明らかな足跡が残っています。すえどんのフォト日記様よりお借りします。

 

その阿波女神は大宜津比売であると…いうことになりますね。

http://sueyasumas.exblog.jp/15738047/

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