霧の桃源郷へ…多霧姫に包まれて
高知県 物部村
いざなぎ流神事、お神楽
御幣
物部村 べふ温泉峡
べふ温泉にて夕食
鹿、鴨、猪、アメゴにマスと山の幸尽くし。味も最高のジビエ料理。
いざなぎ流とは?
いざなぎ流は、物部川上流の香美郡物部町(旧物部村)に守り伝えられてきた極めて古い要素を含んでいる民間信仰です。起源は定かではありませんが、平安末期に遡るのではないかといわれています。陰陽道や修験道、仏教、神道などが混合して成立したと考えられ、太夫により伝承され、現在に至っています。
「いざなぎ」とは、いざなぎ流の起源を物語る「いざなぎ祭文」に登場する「いざなぎ様(大神)」に由来します。その祭文には、日本に生まれ、経文の修行を始めた占い上手の「天中姫宮(テンチュウヒメミヤ)」が、人を救うための祈祷(呪術)を求めて天竺に渡り、天竺の「みよし川」の川上に住む「いざなぎ大神」から人形祈祷や弓祈祷などの祈祷法を習い受けて日本につたえた、ということが語られています。
いざなぎ流太夫
いざなぎ流の祭儀などさまざまな知識を習得、管理している宗教者を太夫といいます。いざなぎ流には、教祖や神社仏閣のようなものも無く、教団や宗家といった組織もありません。太夫は世襲制ではなく、太夫になろうとする者は、師匠となる太夫に弟子入りし、祭りに同行手伝いをしながら祈祷法や祭文の唱え方、御幣の切り方など、基本的な知識を学び、やがて一人前となり、その知識を次の世代に伝授していくというかたちで継承されています。
①氏神や家の神の「神祭り」
②祈祷(病人祈祷や作祈祷)
③弓を叩いて神霊の言葉を引き出す「祈念」や御膳の上の上に米を落とし、その形状によってさまざまな霊的な現象を判断する「米占い(フマウラナイ)」
④怒っている山の神や水神などの「鎮め」
大きくこの四つで、太夫は、神々と人を結ぶ拠り所となっています。
物部いざなぎ流神楽保存会リーフレットより参照。
いざなぎ流研究参考
海部から物部へ東西195号線を行く
那賀川沿いの桜
べふ峡温泉の目の前の塩峯公士方神社正面の大杉。
蛇神がこの辺りにいらっしゃるという。
霧の中、林の中の巨木の存在感に引き込まれるように杉の木へと向かった。
この奥が塩の道につながる。
阿波と土佐の境界。
一方の籠に塩を、もう一方の籠に御神体を入れてやって来たところ
突然、かつぎ棒が折れ籠の中の塩が転がり落ちていった。
大栃の背後、塩ガ峯に鎮座する塩峯公士方神社(しおがみねくじかた)
この場所で、もう一方の籠の御神体・鏡金像が動かなくなり祀られたそうだ。
剣山系の南側、物部の村は時空を超えた霧の中の桃源郷…
この雨と霧の夜、不思議な天女が舞い降りて、ここから剣山を越えて行ったのだった。(ホントの話〜)