秦河勝墓所 赤穂大避神社
赤穂坂越湾に浮かぶ生島にある
【 墓のある生島の樹林は天然記念物 河勝は聖徳太子亡きあと蘇我入鹿の迫害を逃れて坂越に移り千種川流域の開拓に功績を残して八十余歳で亡くなりました。墓のある生島の樹林は大正13年(1924)に国の天然記念物に指定されています。
下記ホームページさまより】
矢車紋の幕が張ってあった。
もうすぐ夏祭り。
【 http://www.ab.auone-net.jp/~tadeho48/meishokyuseki/ohosakejinjya.html 】
たくさんの奉納絵馬が…
正面に生島が見える
新宮-聖徳太子・住吉大神・金比羅大神・海神社
天満神社-菅原道真-元の天神山(北之町)に鎮座
恵美須神社-蛭子神-元の本町海岸に鎮座
荒神社-竈神-元の東之町に鎮座
淡島神社-淡島大神-和歌山県の加太より勧請
稲荷神社
梅鉢紋の天満神社
橘紋の新宮
三ッ柏紋の恵比寿神社
船
船、
あらゆるところに奉納船が…
境内神社の梅鉢紋…
なぜここに天満神社が?と調べたことから
土師氏が、そして野見宿禰が出て、
それが丹後の日葉酢媛命に、丹後の旅へとつながった。
土師氏の末裔には菅原氏、大江氏、柿本氏がいる。
土師氏の祖は野見宿禰。
はじめて相撲を取った人として有名。
もう一つには、
垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命の葬儀の時、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、
土師臣(はじのおみ)の姓を与えられたという。
そして、橘紋。
それがまた次への展開となってつながることになるとは、
まさか、、
この大避神社に来た時には思ってもみなかったのだった。