八大龍王と役行者

パソコンからしか文字設定を変更できないらしいことがわかったと同時に、パソコンが凍結中💦につき、

スマートフォンから更新。
 
物部に行く前から八八サインが続いていましたが、
とここまで書いたのが物部ツアーの後の4月17日。
 
 
そして今日は、7月28日。
 
八八サインは続いているのですが、この表題の「八大龍王役行者」で、書こうと思っていた事は何だったのか…
すっかり忘れている、😱💦
 
最近は、さらに新しく八大龍王関係のストーリーが展開しつつあるのですが。
どこから書けば良いのやら。。f^_^;)
 
今日は、はてなブログさんから
もうそろそろ投稿しませんか〜?とお誘いを受けたので、
 
どこで止まっていたのか確認しながら、
その後に起きつつある事を
まとめて記録していこうかな〜っと思います。
新しく来ていただいている方もあるようで、
ありがとうございます😊
 
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2016年夏至の日に撮った播磨灘〜上島(神島)
この日の意味を後に知ることになる
追記2018年6月25日
 
 
 

イチキシマヒメからの伝言

 

 

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御形神社  兵庫県宍粟市一宮町

http://www.mikatajinja.com/

 

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大滝山西照神社  徳島県美馬市脇町

http://www.geocities.jp/nisiteru_jinja/

 

 

 

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京都御苑  宗像神社

https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000426

 

 

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京都市伏見区 城南宮

http://www.jonangu.com/

 

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広島県  厳島神社

http://www.miyajima-wch.jp/jp/itsukushima/

 

 

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徳島県 剣山本宮夏祭り

http://www.dydo-matsuri.com/archive/2012/tsurugisan/

 

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伊勢外宮  別宮 月夜見宮

http://www.isejingu.or.jp/about/geku/tsukiyomi.html

 

とりあえず…

 

全て月神の足あと…

 

 

神奈備にようこそ『丹生都比売伝承』より

🔴赤い玉依姫、祀る巫女と彷徨う神々について

 

神奈備さまサイトよりの情報&記録MY Photo。

 

まずは鳴門、中央構造線上にある丹生神社

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そして以下、神奈備さまサイト『丹生都比売伝承』よりの情報。


⚪️玉依姫

  《古事記神武天皇の条に,皇后富登多多良伊須須岐比売命 (ほとたたらいすすきひめのみこと) (またの名,比売多多良伊須気余理比売 (ひめたたらいすけよりひめ) )は, 丹塗矢 (にぬりのや) に化身した三輪山の祭神が美人の女陰を突いて生ませた〈神の御子〉だという記事があり,たたら (踏鞴,鉄鍛冶) と神との関係を想像させるが,鉄丹および鉛丹の技術も並行しておこなわれたと思われる。

 丹塗矢に女陰を突かせた美人は勢夜陀多良比売と言う。 他にも、見知らぬ若者 (実は大物主 (おおものぬし) 神) によってみごもり,三輪氏の祖を生んだとされる女性,海神 (わたつみ) の娘で,海幸山幸神話の主人公火遠理 (ほおり) 命の子の乳母でのちには妻となり,神武天皇を生んだとされる女性,丹塗矢 (にぬりや) と化した火雷 (ほのいかずち) 神に感精して賀茂氏の祖神を生んだとされる女性などがタマヨリヒメとよばれている。

 玉依姫は物語の中では固有名詞のように扱われているが、実際は普通名詞であったろう。タマヨリヒメとは神霊が依り憑 (つ) く女性の意である。したがって上記ホオリの妻となった豊玉姫(とよたまひめ),狭井川のほとりで神武天皇のおとないをうけた伊須気余理比売など,名は違うがいずれもタマヨリヒメにほかならない。 これは,祭儀の際,神降臨の秘儀に立ち会う巫女が、神話的には神に感精してその子を生む母として形象化されたものである。古代の巫女はなべてタマヨリヒメであったといえる。

 

 丹生都比売と玉依比売とは同一神との表現は、丹生都比売が不合尊を育てたのではなく、ましてや丹生都比売が下鴨神社の祭神となっている訳ではなく、共に神を祀る巫女の神格化されたものと言う意味では正しい。機織をしていた天照大神玉依姫である。


🔴玉依姫-赤留比売命 考

 赤玉から生まれた赤留比売命(阿加流比売神)は天日槍命を祀る巫女であった。すなわち赤玉依姫である。 赤に謂われを持つ巫女が東方の故郷へ帰るのは太陽祭祀を思わせる。
 祀るものがいなくなった神である天日槍命は祀られるべく巫女を追いかける。祀るものを失った神は存在しえなくなると言う事であろう。


🔴玉依姫-丹生都比売 考

 水銀(みずかね)の神・丹生都比売は祀る巫女であろうか。 各地に丹生神社が勧請されていった後の作と思われる「丹生大明神告門」によれば、丹生都比売をして伊佐奈支之命、伊佐奈美之命の御兒と紹介する。すなわち高天原に坐た神とする。 月読尊とか、天照大神の妹神の稚日女尊と同神とする説がある。後者には稚日女尊が丹生都比売を名乗り、紀州に降臨したとする物語がある。

 

 さて、稚日女尊は、荒れ狂う素盞嗚尊のとばっちりを受けて、陰部に杼を突き刺して死ぬ女神であるが、神のための機織を行っていたのであり、死に方もいかにも神祀りする女神にふさわしいのは、箸墓の夜麻登登母母曾毘女命と同じ死に方であり、稚日女尊は祀る神と言えよう。すなわち、玉依姫である。

 

 稚日女尊と丹生都比売命が同じ神なら、晴れて丹生都比売命も神を祀る神と言える。この比売神はどの神を祀ったのか、辰砂を求めて高野山にやってきた丹生氏が丹生都比売以外に祀った神とは、高野山の地主神に他ならない。 高野御子神である。高野の地主神・高野御子神の名は丹生氏によって立場を逆転さされてしまい、丹生都比売を祀るが如き名に変えられているが、元々は高野地主神と呼ぶ神であり、狩場明神、皮張明神の名を持つ。 
 しかしながら丹生都比売と稚日女尊を同神とするのは、記紀に出ていない神々をして、何とか尊そうな由緒付けをしようとする落ち目の丹生氏の試みの一つと思わる。丹生都比売をして神を祀る神とは断定する事はできない。

 

🔵付録、空海と彷徨う神々

 

彷徨う神々  付録


 神は彷徨う。空海弘法大師も彷徨う森の神である。

 素盞嗚尊は根の国に行き着くまでに彷徨い、出雲で奇稲田媛に出会う。荒魂から和魂となった。

 🔶八千矛の神は、祀る巫女を求めて各地を彷徨った。沼河比売や須勢理毘売と出会い、大国主となった。

 伊波礼毘古命も東を目指して彷徨い、ついに狭井川のほとりで比売多多良伊須気余理比売に出会い、神武天皇となった。

 品陀和気命は、生まれる以前から彷徨い、生まれてからも筑紫、紀州敦賀と彷徨っている。品陀真若王の三柱の娘、比売神を娶り、応神天皇となった。

 天日槍命は祀る巫女の赤留比売命を求めて彷徨うが、出石の前津耳の女麻多烏と出会う。出石に祀られた。

 日本武尊は命令により東西を駆け抜けて、、弟橘姫命を失うも宮簀媛命と出会う。しかし非業の最期を遂げる。

 袁本杼の命は東の国から出現して、河内、山城を彷徨い、手白髪の郎女を娶り、継体天皇として皇統を継いだ。

 🔷母を玉依御前とする空海弘法大師の彷徨いは謎に満ちている。深い山の中での修行か大陸への密航か、正式に帰国してからも彷徨い、ついに丹生都比売と出会い、その懐に入定し、森の神となった。

 

 http://kamnavi.jp/ny/tamayori.htm

 

 

 

 

 

 

秦氏と火の神、竃神の煉丹術は錬金術。

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屋根の中に龍と書いて、

かまど、竃になります。

 

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旧三好郡の神社取り上げ調べ帳と地図を重ねながら、

吉野川上流の三好市の神社のご祭神を調べていたところ、

宀に龍の字の神社がありました。

なんて読む名前の神社なのだろう?

吉野川の川岸にあります。

龍だし、水の神であろうと調べてみると

澳津彦、澳津姫を祀る神社であり、竃の意味であるようです。

グーグルの地図だと竃神社になっています。

 

この字の示すように、

お産の時に建てた産屋の中には、必ずかまどを作り祀る、それが竃神の始まりだという事です。

そう、屋根の中に龍とは、まるで豊玉姫お産のイメージ✨🐊

 

産屋はとても大切な場所。産土神の産土もこの産屋の中に敷いた砂の事らしい。

海人族の慣習からきているようです。

 

徳島県三好市池田町。

 東西に流れる吉野川が南北にぐっと曲がり流れを変える場所。

 

この山に囲まれた地域に、澳津彦、澳津姫を祀る神社がとても多い事に驚きました。

吉野川を遡ると源は高知県に入ります。

祖谷の奥は高知の物部になります。

 

神社取り上げ調べ帳に付箋を貼りながら、そこに載っている全ての神社のご祭神に目を通しました。

 

しかし、この澳津彦、姫が気になったところでストップして保留状態のところへ…

 

いきなりスルスルと解けるように、

大八嶋社〜八嶋殿社を調べる事によって、

伏見稲荷空海、火の神と秦氏、そして、錬金術と煉丹術、鍛治の神までつながってしまった…のでした。

 

そう、あの!丹までも。

この旧三好郡、現在の東三好市の加茂地区に、丹田古墳があります。

そして、そこに眠るは、鴨の大神。別雷の神。鴨氏発祥の地と私が思っている処になるのです。

 

面白い。

頭の中がくるくるしても、諦めなければ必ず意味がわかる時が訪れる不思議。

 

大八嶋社については、東寺の八嶋殿社の写真を頂いた友人に教えてもらったこちらのブログの情報が素晴らしく👍

引用させて頂きますと、

 

http://s.ameblo.jp/taishi6764/entry-12128645909.html

 

【かまど神】

竈・囲炉裏・台所などの火を使う場所に祀られる神。
火の神であると同様に農業や家畜、家族を守る守護神ともされる。

古代の火の管理は、豪族の首長や神聖司祭、王侯、巫女王などの手に委ねられていた。この火の守り神である火神やその象徴物であるカマドや発火具などは、特に神聖視さて、奉斎された。

カマドの神については『古事記』の大年神の系譜に奥津比売(オキツヒメ)、 奥津日子(オキツヒコ)二神があげられる。

宮廷では、大八嶋竃神、斎火武主比命、庭火神などが知れていた。

中右記』によれば、天皇の供御を調理する内膳司には、御竃神と呼ばれるものが三所あり、
1、平野(祭りに奉仕)
2、庭火(平常の御飯に奉仕)
3、忌火(朝廷の大儀である新嘗祭、神今食などに奉仕)


▶『稲荷社事実考証記』では稲荷五社のうちの四大神の別名を「御八嶋」と呼び、稲荷山山中の荒神地主大神であるという。また、山中の荒神塚を荷田氏の旧跡ともしており、稲荷五社のうちの四大神→荷田氏と関係→御竃神である。

▶四大神は、『神社貫禄』によれば、松尾大社末社としてもあった。この場所は、神餞所の裏である。

 

 

▶煉丹術とは練金術を言う。 古代中国での煉丹術の意味は不老不死である。
漢の武帝は神仙学を信じ、方士の李少君を重んじていた。

金属のみならずその器具についても、聖なる魔力の信仰があり、道具を作る技は本質的に超人間的、神的であるか、悪霊的(殺人の武器も作るため)でもあった。こういった石器時代に原初的な神話の残映はおそらく神話に織り込まれている。

中国の『封禅書』
「竃えお祠れば物を致す。物を致して、丹砂は化して黄金と為(な)るべし」

▶松田壽男氏によると
「竃を祠る」とは、竃神を祠ることだけではなく、丹砂を蒸溜する釜そのものも刺している。「丹砂を蒸溜する釜」がとくに竃神として祠られた。という。

 

 

東寺についても…、

 

http://s.ameblo.jp/taishi6764/entry-12128642712.html

 

▶東寺に伝わる『稲荷大明神縁起』(南北朝時代
翁は和銅年中(708~715)より100年間、稲荷山の山麓の草庵を結び、昼は田を耕し、夜は巻を集め、その面貌は竜のようで、顔の上に光があたって夜を照らしたといい、その姓を荷田氏といった。稲を荷ったからであるという。

 


弘仁のころ、弘法大師がこの山で修行していたとき、この翁があらわれて、
「我ハ当所ノ山神ナリ。仏法ヲ護持スベキ誓願アリ」といいた。
そこで弘法大師は、その面貌を写しとって御神体とし東寺の竈殿(台所)に安置した。毎年の祭礼には神輿とともに出御するという。

 

大師は、竜頭太から稲荷山を譲り受けた後、稲荷明神をこの地に勧請した。その時、山麓には藤尾大明神が鎮座していたが、嵯峨天皇に奏上して深草に遷座せしめた』(大意)

 


金堂喜博氏によると「面貌は竜のようで、顔の上に光があたって夜を照らした」この神が稲作に関係ある雷神、竜蛇神であったことを表すものであるという。

 

……

 

雷神、竜蛇神✨👀✨

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秦氏と空海と、…物部の影。

元は藤森神社の社地であり、

今でも藤森神社の祭りでは

藤森神社の氏子が伏見稲荷に向かって、土地を返せと言うという。

 

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私は学生時代は伏見に住んでいたというのに参拝した事がなく、

初めて伏見稲荷を訪れた2年ほど前に、稲荷のお山から降りてきて足が止まったのがこの大八嶋社でした。

大八嶋大神、元の地主神をお祀りした社のない禁足地。

 

観光客は足を延ばさない、地元の方が自転車でここだけにお参りに来られ、サッと帰って行かれるような様子です。

何か重要な場所であるように思いながら、

しかしその意味がやっと2年越しに分かったのが今朝のことでした…f^_^;)

 

 

友人が東寺に行き、FBでこの写真をアップしていました。

写真をお借りしました🙏

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東寺の八嶋社殿

そう、八嶋!

東寺境内にあるのだそうです。

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稲荷のような朱いお社です。

なんと、ここも地主神であり、大己貴神です。

 

 

東寺空海ご縁の場所。

空海のお母さんは阿刀氏の出自であり、母方の叔父、阿刀大足の影響もあったのか、空海は京に来ます。そこで学問を学び、大足の支援を受け唐へ留学する事になるのです。

 

阿刀氏とは?

東寺の北側に石上神社があります。

以下のサイトさまより

 

http://www.kyotofukoh.jp/report1100.html

 

東寺の境内北の住宅地に、小社の石上神社(いそのかみ じんじゃ)がある。正式には石上布留社(いそのかみふるしゃ)という。東寺執行職(しぎょうしょく)を世襲した、空海母方実家・阿刀氏が奉祀した。その屋敷跡になっている。
 祭神は本社に石上布留御魂(いそのかみふるのみたま)、相殿に阿刀大神(あとおおかみ)を祀る。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 平安時代、823年より、真言宗の政所となる。宰主は、阿刀家が務め、歴代の世襲職となる。空海父の実弟、阿刀家の女婿の阿刀大足以来の慣例によるものという。
 近代、明治維新(1868-)以来、大和国一宮三輪社、三輪山の山伏宗が継受相続され、寺号の三輪山大御輪寺と三輪山平等寺を継承しているという。
  1871年、真言宗の政所を廃される。
◆阿刀家 神社は、東寺執行職(しぎょうしょく)を世襲した、空海の母方の実家・阿刀氏が奉祀した。
 境内の石上布留社は、阿刀家の祭壇であるという。相殿には阿刀大神が祀られている。
◆阿刀大足 奈良時代から平安時代の学者・阿刀大足(あとのおおたり、生没年不詳)。詳細は不明。真言宗開祖・弘法大師空海(774-835)の母方の叔父にあたる。空海は大足を頼り上京し、大足より論語、孝経、史伝、中国語、漢学などを学んだという。空海の入唐の際にも、大足の援助があったという。』

 

石…阿刀氏は物部…?

 

阿刀神社のある場所が太秦

蚕ノ社や、広隆寺などのある京の秦氏の拠点にあります。

 

阿刀神社

 

『式内阿刀神社は阿刀家の祖霊社である。 阿刀家は、かつてここで鎮魂伝を相承していた。また、阿刀家はここで嵯峨天皇の御作と言う天照大神のお木像をおまつりしていた。  昔は、この社から東の方を嵯峨野と言った。後水尾天皇はここにあった燈象菴におこしのとき、阿刀栄元に  虫の音も長き夜飽かぬ故郷に  楢思ひ添う松風ぞ吹く  との御色紙を下さった。  阿刀家は弘法大師の生母の里方である。 弘法大師は、三教指帰の初稿をここで書いたと言われている。  阿刀家は弘仁14年正月真言宗の執行職として東寺に移ったが、嵯峨との交渉には変わりはなかった。角倉了以の家も清原国賢の家も阿刀家と親族であった。この両家の関係は、近世嵯峨文化の基源を成したと言われている。右京区嵯峨広沢南野町』

 

https://kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=10&ManageCode=342

 

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 ここで一旦、

前回からの、京都☆秦氏の足跡を辿るシリーズの復習🖋

京の地の出雲系統は賀茂氏でした。

賀茂氏はかなり古い時代にすでに京都の地へ入っていました。

上賀茂神社下鴨神社賀茂氏の祖を祀る社。

葵祭の天御影神は、丹後との関わりが深い。丹後の天御影祭りは葵祭に先立って執り行われています。

 

そのずっと後、平安京直前に、

京の地で賀茂氏と重なってくる秦氏。京の都造りに尽力した技術集団、渡来の民。

 

空海、、物部氏の影…

 

そして、神話では…

八千戈神である大己貴神大国主神出雲国譲りした神。天孫に追い出された民たちの神。

 

その八千戈神を船霊として旗に祀り新羅遠征した神功皇后を祀ったのが、秦氏の藤森神社であり、真幡寸神社でした。

 

 

 

かなり古い時代を見ると賀茂氏と重なる物部の面があります…

これは、鴨氏発祥の地だと感じている阿波の丹田古墳と繋がると思っていますが、、

 

物部の旅にて

http://aihanum.hatenablog.com/entry/2016/02/26/210020

 

ここで始めに戻り、伏見稲荷の大八嶋社と、東寺の八嶋社殿の共通点とは何なのか?

について…

 

 

ですが頭の中がくるくるしてきたので、

次回へ続きます(≧∇≦)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都☆秦氏の足跡をたどる…八の一致による三角形の謎

今回、あまりに強引な内容ですので、私の妄想記録という事でおつきあいお願いいたします😅

この直角二等辺三角形の地図も、

まぁ、偶然でしょうが、

位置関係を頭に入れやすいので貼っておきます。💦

 

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☆京都伏見城南宮真幡寸神社(藤森神社)

兵庫県宍粟市山崎八岡神社

徳島市眉山八人塚古墳

 

この三点を結ぶ八のシンクロが、

八千戈神。

八千戈神とは

 

又の名を大己貴神

又の名を大国魂神、

又の名を…

 

 

 

 〇〇〇命で、〇〇〇〇〇

 

ではないのかという、

個人的推測と妄想。。。

 

〇〇〇は漢字三文字、〇〇〇〇〇は一般的にカタカナ5文字、すごいヒント😱✨

 では、その答えを導くための

三角形の定理…

じゃなくて三地点の共通項による証明を以下に書き出してみよう。✏️

 

☆先日書いた城南宮の真幡寸神社について

ご祭神は神功皇后と八千戈神を戦勝祈願の旗に祀る船霊が元であった。その場所は元社地である現在の藤森神社。

その藤森神社のご祭神は

素盞鳴命

別雷命

日本武尊
応神天皇
仁徳天皇
神功皇后
武内宿禰
舎人親王
天武天皇
早良親王
伊豫親王
井上内親王

である。

 

兵庫県宍粟市にある八岡神社、

場所はミヤコガナル地と呼ばれ、住所は神谷。神がこの地に降りた場所であり、

ご祭神はやはり素戔嗚命、なんとこの神社には京都の藤森神社が合祀されているのだ。

ご祭神も、摂社まで一致している。

山の奥のひっそりとした場所にある神社と京都の都造営の時代に関する神社との共通項が、『八』

また、ここには石作りの名もみえる…

 

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播磨国の神社は、立派な石積みが特徴のように思える。ここからは石垣か高く、拝殿が見えない。

 

(天空の城で有名になった 竹田城も近いです。あの石積みは穴太衆とか。

穴太衆とは阿波の石積み職人。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%B4%E5%A4%AA%E8%A1%86

 

http://hach8.web.fc2.com/jinjya/03ibo/02yamasaki/07miyako-ganalu/11hachioka.htm

 

そしてこの八岡という名。ハチオカ✨

 

秦氏の氏寺、広隆寺は漢字は違うが、蜂岡寺とも言われ、太秦の蜂岡町にあるのだ。

 

広隆寺 (こうりゅうじ)は、京都市右京区太秦にある寺。

宗派は真言宗系単立。山号を蜂岡山と称する。

蜂岡寺(はちおかでら)、

秦公寺(はたのきみでら)

太秦寺などの別称があり、

地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれる。

帰化人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した、京都最古の寺院である。

国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵することで知られ、

聖徳太子信仰の寺でもある。毎年10月12日に行われる牛祭は、京都三大奇祭として知られる』

 

この謎解きの鍵となり、秦氏の来た道をたどるシンクロを呼んだ『八』…私の妄想💦だったらすみませんf^_^;)

が、内心、絶対何かある!という勘✨

 

この八岡神社を発見して、(発見しないと分からない山の中の神社)

案内してくれた宍粟の友人はある夢を見て、その話をしながら

ぜひここへと

私をこの神社に連れて行ってくれたという曰くあり…その人は播磨国秦氏の末裔)

そして、宍粟の揖保川を下ると赤穂

そこには秦河勝ゆかりの大辟神社があるのが播磨の国なのです。

 

徳島市眉山にある八人塚古墳

ここも『八』

地元情報からすると、この眉山に祀られているのは素戔嗚命であり、その素戔嗚命の社へ続く八つの登り口である坂から、八坂神社と呼ばれるようになった…そうで。

という事は、八坂神社の名の起こりは眉山?…となる??

素戔嗚命牛頭天王

 

眉山は、古代豪族達の墓陵であり、

この眉山にあるゴルフ場の敷地にある八人塚古墳は、古墳時代初期の積み石の前方後円墳としては日本最大である。

八人の武将の御陵。

彼らは何者なのか?

何者かはわからなくとも、

目の前に古墳時代初期という古さの古墳があるという説得力は大きい。

 

こちらの阿波古代史巨匠のぐーたら気述べ日記さんのブログが読みやすく分かりやすいので詳しくはこちらでどうぞ。

http://goutara.blogspot.jp/2012/12/blog-post.html?m=1

 

そして、『八』のみで眉山にシンクロが飛んだわけではなく、

もうひとつの氣になる場所が徳島にあった。

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大己貴神

八千戈神…

ここは、地図を見て発見し、その神社の詳細を調べようと検索したブログ情報(こちらも隠れ巨匠と尊敬する方のブログでした)

によってもかなり怪しい、

…いや、大切な場所であるに違いないと脳裏に焼きついた場所であった。

参考🤔

http://blogs.yahoo.co.jp/autoikuo/21222520.html

 

そして、大己貴神大穴牟遅命大国主とされるが、大国主は今の県知事みたいな呼び方であるので、一人ではない。

 

大己貴神播磨国風土記によると、

伊和大神ともなる。

国づくりのために、諸国に出て行った神である。

八岡神社のある 宍粟市には、播磨国一ノ宮伊和神社があり、

伊和大神が天日槍と戦った伝承がある。

 

その伊和大神とは誰なのか?

 

という事と、底流に流れる氏族を超えた民の記憶がどこの時代まで遡れるのか。

 

その蓋の鍵を握るのが、

秦氏であるような…

 

八人塚古墳に眠っていた武将は何者なのだろうか。

 

この度はあまりに話があちこちに飛びすぎてますが、

私の妄想についてこられる方はいらっしゃいますでしょうか?

 

 

あ、、、三角形の証明になっていない😅

 

…つづく

 

 

 

 

 

 

京都☆秦氏の足跡をたどるように…蚕ノ社

つい最近(平成28年6月2日)、

偶然が重なり、この日ここへと導かれたのです。

 

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昨年末の京都への旅行で松尾大社、月読神社を訪ねた時、

 

行きたかったけれど行けなかった神社

木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)

 

蚕養神社があるため、蚕ノ社と呼ばれています。

 

阿波一ノ宮、上一宮大粟神社のご祭神

(月の姫、オオゲツヒメ)との関連があると私が思っている、

養蚕の神を祀る蚕養神社が

この神社本殿の横に祀られているのです。

 

(ここは、月の民が移動したシルクロードの最終地点なのかも…期待でドキドキ)😊

 

JR山陰線花園駅から歩いたため、結構な距離でした。💦

この日は梅雨前の晴れた爽やかな日でしたが、

歩き疲れ汗しながらこの神社の鳥居の前に立って驚きました。

奥にある社へと吸い込まれるかのようなシンとした温度の変わる静寂。

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オレンジ色の光が本殿のあたりに見えます。

灯りが灯っていると思いながら近づいて見ると

木漏れ日だったのでした。

 

住宅街の中なのに、なんと気持ちの良い神域なのだろう。

 

私一人の境内、静けさの中で手を合わせ…

グルグル、ふわ〜〜、

眩暈のような、クラッとして足元が地面を踏んでいないように浮き上がりそうになり…

驚いていったん目を開けて、なぜか背後を確認し…f^_^;)

 

嵯峨野から嵐山あたりを歩き、花園駅からも歩いたせいで、立ち止まった途端足のしびれが来たのか⁉︎

と足元を見て、

氣を落ち着けてもう一度手を合わせました

 

ら…また、グルグルふわ〜〜、

目を閉じているとどこかに連れて行かれそうな体感、

こんなのは数ある神社参拝でも全く初めての感覚で、、、

 

やはり歩き疲れていたのかもしれません…(≧∇≦)

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秦氏は、養蚕製絹の専門技術を独占していたとされる。古代の天然繊維の内で、いったんその技術を習得すれば比較的大量に生産できるのが絹である。秦氏一族は無限を富を産む蚕に感謝して、蚕養・織物・染色の守護神である萬機姫(よろずはたひめ)を勧請し、太秦の地に奉祭した。それが、俗に「蚕の社」と呼ばれる蚕養(こかい)神社である。

 

養蚕の起源は中国の殷代(紀元前1700~1200年)にあり、黄河揚子江の中・下流域で始まった。絹の生産技術と製品は長い間、中国の門外不出の扱いを受けていた。絹織物は中国の特産品であり、ヨーロッパとの交易ルートだったシルクロードとは、まさに絹の道そのものだった。古代の中国では、蚕の餌となる桑の木は神木とされていた。日本の別称を扶桑というが、これも桑の神聖化から派生した名称であろう。日本には、弥生時代の中頃に中国から直接養蚕技術が伝えられたとされている。しかし、錦などの文様をあらわした織り技術の伝来は、5世紀後半の技術者の渡来を待たねばならなかった。

 

下記サイトさまより

http://www.bell.jp/pancho/travel/hata/konosima-jinja.htm

 

秦氏とは、京都を作った陰の功労者ともいわれ、あまり表には出てきません。

しかし、京都の蚕ノ社のある太秦には秦氏の住んだ足跡が色濃く残っています。

 

松尾大社、月読神社、蚕ノ社広隆寺、蛇塚古墳(秦氏の有力者、首長を葬ったとも言われ、住宅街の中にある大きな横穴式石室を持つ前方後円墳)などの秦氏に関係する史跡です。

 

 

 

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正面が木島神社、右横に蚕養神社(蚕ノ社

 

☆正しくは木嶋坐天照御魂神社といい、一般的には『蚕の社』として知られています。これは境内摂社蚕の社(蚕養神社)があって、木嶋神社よりこの方が一般に信仰されているからです。

 

木嶋神社の創建は古く「続日本紀」によれば、文武天皇大宝元年四月に

「山背国月読神、樺井神、木島神等の稲を今より以後は中臣氏に給え」

という勅が出ているので、それ以前の鎮座であることが推定されます。

 

当社はこの地に上古から住んでいた民が五穀豊穣を祈って、高皇産霊神を祀ったものと思われますが、

一説には社名に因んで天照御魂命すなわち天照国照彦天火明命ともいわれ、他にも説があるようで定かではありません。

 

かつては葛野郡では有数の大社として、延喜式では名神大社となり、数度に及び相嘗祭、祈雨祭を行いましたが、特に祈雨の神として崇敬を集めました。

社前にある池は、祈雨の祈りを捧げるときに用いられたと推測されます。

 

http://www.kyototownmap.com/page/kaiko.html

 

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双葉葵

この紋は賀茂氏秦氏の深い繋がりを表しているようです。

 

下鴨神社の瀬見の小川西側にある摂社、河合神社の祭神は、賀茂別雷命の母である玉依姫命で、元は秦氏の祭神で、賀茂氏秦氏の婿となり祭祀権を譲られた関係からと見られています。 』

 

☆この鳥居での方がここは有名かもしれません。

石でできた三柱鳥居

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鳥居のある場所はかつて水が湧き出ていたといい、枯れた池の中。

柵で囲まれ禁足地となっています。

 

有名な御手洗祭りの際には地下水を汲み上げ池を満たすそうです。

 

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秦氏賀茂氏が重なる京都太秦の地。

 

秦氏と鴨族は、いつの時代からの縁なのか?

どこで出会い、どこからこの地へ?

 

この地を都にするための土木建築や産業技術を持ち、都建設事業を成した秦氏陰陽道を使い都に結界を張った祭祀族である賀茂一族…

 

この国を作り上げた

氏族名ではわからない見えないつながりが、両氏族の底流に流れていた…

 

点と点が、

時代を超えて、場所と場所を結んでゆく

 

 

 

 

 

 

 

 

 ☆おまけ

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境内左手奥にあるお稲荷さんは古墳の中。

椿丘大明神と案内が出ていました。

何とも言えない雰囲気のある場所で、お賽銭を入れるのに中に入らなければならず、暫く躊躇しました。

中で狐さんに囲まれながら手を合わせて目を閉じる…慌てて出てきましたf^_^;)

さすがにこの辺りの写真は撮れなかったのですが、やはりここも意味があったようで。

後から来た地元の方らしき女性が熱心にお参りしておられました。

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